ジッケンウェブ

zikken.png実験表現研究会というのに参加させてもらってますが、ウェブサイトが無かったので、勝手に作らせてもらいました。もっと良いサイトを誰かが作ってくれるまでの繋ぎってことで。
 →実験表現研究会
一見blogみたいだけど、表面だけ。素直にblogのシステムを利用して作れば良かったかも。あと、流行のポッドキャスティングなんかも、どうだろう、やらないかもしれません。自分んとこでやってろって話ですが。
せっかく作ったんで、もうちょっと充実を図りたいと思います。


作品に掛けるお金

悩ましいのがお金なのだ。美術にはお金がかかる。そして絶望的に利潤を生み出さない投資でもある。
制作にどれだけお金を掛けようか迷っている。というか、少々予算をオーバーしそうで、戸惑っている。どこまでなら許容することが出来るだろうか。作品に掛ける予算とは、作品の規模と思い入れと打算的な思惑によって決定する。意地汚く出し惜しみして、しょうもないものをつくるか、あるいは、多額の資金を投下して、なお失敗するかもしれない。
費やした金額と作品の出来不出来が比例しないのは当たり前のことだ。ただ、もしお金を出せば、作品が確実に良くなるという場面で、その分の金銭的な余裕があれば、そこは出さなくてはいけないのだろうか。むしろ、それだけのことで良くなるのであれば喜んで出すべきなのか。あー、みみっちい話。
芸術なんて、そんなに崇高なものでもないよ。ただの遊びだよ。という振りをしてその実、どこかで、「捧げるもの」という認識が1パーセントほど、あります。捧げる?誰に?
「芸術」にです。「芸術の神様」にです。昔、芸術は宗教と共にありました。
この、雀の涙ほどのマネーは、捧げなくてはいけないのでしょうか?


読み易い

少し難しそうな本なんかは、心と時間に余裕がある時でないと読むことが出来ないような気がしている。制作か何かで、実際はそうでなくても、差し迫っているようにちょっとでも感じてしまえば、もう気が急いて読めなくなる。本を手に取ることもしない。何故かといえば、少し難しそうな本は、姿勢を正してじっくり読んで、そこから何かを学び取らなくては、などという強迫観念みたいなものがあるからだ。だから気持ちにゆとりがないとダメだ。
しかしながら、もちろんよく分かっているが、これは単に主観的なことだし、実際には本を読む暇なんていくらでもあるし作れるはずだ。たとえどんなに忙しくなっても、僕の場合そんなもの高が知れてるだろう。さらにいえば、気持ちにゆとりなんて、この先ずっと出来ないことだろう。
ともかく、今はなんとなく差し迫っている気がしているから、少し難しそうな本は読めない。ただ、そんな時でも、寝る前や飯を食う時やトイレの時とかには、手持ち無沙汰になるから何か本を読みたい。少し難しそうな本は避けて、どうでも良さそうな、読み易そうな本をだ。何を読もうかなと思って、その辺にあったのを手にして読んだのが、村上春樹の小説だった。以前にも読んだことのあるやつだ。
これがまた読み易かった。この数日間、合間合間の時間で、すらすらと淀みなくページを繰ることができた。小説の内容云々よりも、活字をこれだけすらすら読める感じが、物凄く久しぶりで、感動的で、そのことをここに記そうと思ったのだ。
なんというか村上春樹はもう評価の定まった作家であるから、ここに書くこともないのだろうが、すごくストーリーテリングが巧みなのだなあという風なものだ。
で、読んだのは、『スプートニクの恋人』、『風の歌を聴け』、『羊をめぐる冒険』、『カンガルー日和』。


テイキングピクチュア

ポラロイドの写真を整理したりスキャナで取り込んだりした。写し出されているものは、たぶん4、5年前くらいから撮り始めたと思うのだけれど、すごくつまらない風景とかばっかりだ。それ以外で人間が写ってるのというと、自分が写っているのしかない。
なんでかというと、撮ったその場でその写真を相手にあげたり、という実に真っ当なポラロイドカメラの使い方をしているためか、あるいは単に、友達が居なくていっつも自分で自分を撮っているからなのか。どっちなのかは知らない。
でも、撮られるのを極端に嫌がる人っていて、どうも周りにはそういう人が多いみたいだ。僕も決して撮られるのは得意な方ではない。得意っていうのは、カメラを向けられて咄嗟に面白い顔をしたり変なポーズをとったりできる、という意味だが。けど、まあ撮られるはそれほど嫌じゃない。
写真は、撮った瞬間にすぐに過去のものになってしまい、現在を写すことなどとてもできないという性質のものだ。だから、やっぱり、写真は撮ら(れ)なければならない。撮って、後で見返して薄ら笑いを浮かべるのが、写真である。のではないかな。
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スピーキンスピーカー

勉強がはかどらない。身が入らないし身に付かない。とにかく先が見えないような感触がある。真っ直ぐなつもりで蛇行している。焦りもある。勉強の仕方が悪いのかもしれん。何の勉強?
はっきり言おう。英語の勉強をしている。英語を話せるようになりたい。と思って。つまり英会話。それって結局、場数のような気がする。実践を積むのが一番だとは思うのだけれど。ちなみに今は、iTunesのポッドキャストで英語のプログラムを聞いて勉強している。こんなやり方で身に付くのかしら。
僕は今まで、外を歩いていて外人に英語で道を尋ねられたことが、一度でなく、何度かある。他の人がどのくらいの頻度で、外人に道を聞かれるのかは知らないが、僕は比較的多いのではないかという気がしている。
外人と話したい。
街に出よう、親切な振りして。


フィッシングフィッシュ

sasaya-fishing.jpg浮き世の苦しみから逃避するには水面に糸を垂らすのが良い。垂らした先に魚の行方を追っていれば、ひとときの間、一切を忘れることができるだろう。
ということで、笹谷の渓流釣り堀へ。
僕は釣りはしない方だが、釣りキチの人に連れられて行ってきた。
この渓流釣り堀は、すごく山に入った所にある。釣り堀だが、自然の渓流みたいな感じになっていて、いっぱしの釣り人気分に浸ることも可能だ。豊富な水量。水が綺麗なので味も良いらしい。
ニジマスやヤマメなんかが釣れた。全部で10匹か12匹かその位釣れた。ずぶの素人でも釣ることができる。その場でさばいて、家に持ち帰って塩焼きに。釣った魚は食う。というより食わない魚は釣らない。これ基本ですね。
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失った時間はプライスレス

八百屋のバイトを今日をもって辞めました。理由は、バイトにばかり時間を費やしてばかりもいられなくなってきたため。
約二年間続いた。本当は、僕は真の苦学生(ひどい言い方)というものを知っているため、この位じゃとても頑張ったとは言えないのだが、でもまあ自分としてはよくやった方なのではないかと思います。
いや、辞めるとなると清々するな。これからは清く貧しく生きていくんだ。
ところで、このバイトを通して稼いだ金額は如何ほどか。これをきっちり計算するのが貧乏性たる所以。後で調べてみようと思うけど、えーと、大体平均で月4.5×23ヶ月くらいになるのかな。それだったら、もうちょっと手元に残っていても良さそうなものだけれどな。。


リサーチング アット シネマ旭

asahiza.jpg山形国際ドキュメンタリー映画祭の会場となる「シネマ旭」、「ミューズ」に見学に行ってきた。「シネマ旭」は、七日町の老舗の映画館。「ミューズ」は赤い映写機が置いてあるところ。
特に「シネマ旭」の方は古い建物でなかなか面白い。無駄なスペースや、今はさっぱり使われていない階段など、どこかトマソン的なポイントがたくさんある。逆にいえば、この場所を使ってくださいとでも言わんばかりで、おあつらえ向きすぎるという印象が無くはないのだが、それでもいい形で利用できればと思う。
今回は映画祭と共同する展示ということで、その映画祭に出品する映画作品との関係というか、どれだけ干渉できるのか、していいのかというのが難しい所ではあると思う(安部先生は、それほど気にしなくてもいいのではないかと言っていたが)。特に上映するシアター内に介入していく場合は、よりシビアにならなくてはならないだろう。もちろん、全く関係を持たないで、僕たちは僕たちでやりますよ、みたいなのはつまらない。映画祭の引立て役もしつつ自分も主張して、というのが目指すところか。
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