「吉原治良展」宮城県美術館

この展覧会の主眼は、「具体美術協会」の主宰として語られることの多い吉原治良の、一人の作家としての画業に焦点を結ぶところにある。「画業」と書く通り、奇抜なパフォーマンスに果敢に挑む門弟らを従える、戦後日本美術の前衛集団である「具体」を率いていながらも、吉原自身の残した作品において絵画作品の域を超え出るものはほとんど無く、一貫した実直な姿勢をその制作にみせている。吉原が表現方法を絵画制作に依ったのは、長らく絵画を中心に据えられた体系として推移してきた美術史的な規定もあって、美術を志すならば絵を選ばざるを得ないという時代背景も考慮されよう。と同時に、絵画形式の超克を目指すという気運の高まりもそこに漂っていたが、吉原には形式の内部から絵画を乗り越えたいという願望も強くあった。
生涯を貫いた絵画制作の、一貫していないのがいわゆる画風なのであって、戦前、「魚の画家」と呼ばしめた一連の静物画(これが存外面白い)を端緒に、シュルレアリスム風、幾何学的抽象風に続き、戦後、「アンフォルメル」に呼応するとされる絵画群、晩年の「円」シリーズに至るまで、器用にスタイルを乗り換えていく。いや、そこそこの研鑽を積んだ絵描きならば誰でも持ち合わせているであろう、この程度の器用さ自体は些末なこと。では、なぜ吉原は次々と作風を展開させなければならなかったのか、そこには、様々な芸風を縦横無尽に闊歩する勇ましさというよりは、それを描く主体の苦悩が感ぜられる。
若き日の、魚を描いた静物画を「他人の影響が見える」と評したのは敬愛する藤田嗣治であった。この逸話が吉原の青年期における要諦のように伝えられるのは、後に吉原が具体の門弟らに対し「人のまねをするな」と言葉を変えて反復するに至る、伏線として機能するからだ。藤田の発言が、オリジナリティを信念に掲げる画家吉原の原点であったというわけだ。だが、スタイルの揺れ動きの中にある種の労苦の気配を嗅ぎ取るならば、藤田のその言葉にこそ、嫌疑をかけたいところがある。人のまねをしないで絵を描くこととはどういうことか。そもそも連綿と繰り返されてきた、模倣と反復の上に成り立つと言ってもいい「絵画」という表現形式を選んでいる以上、その口にしやすさとは裏腹に「人のまねをするな」という言葉には原理的な飛躍がある。言わば履行不可能な定言命令を敷かれてしまったことに、吉原の意識下に苦悩を宿らせる原因があったのであろうことは想像に難くない。
やがて吉原は、「円」という「便利」なモチーフを会得し、彼の代表作として仕立てることになる。「便利」だから円を描くとは吉原自身の言葉だが、なるほど、「円」というモチーフを選びさえすれば、それが非常に公共性の強いモチーフであるがゆえ、それを描く主体は消失し、一個の制作者により主体的に具現化される近代美術はそこにおいて超越される。吉原は、たびたび更新せざるを得ない不確実な主体性への捕われからようやく開放される、そのはずだった。ところが、脳裏にトラウマのように巣くった定言命令は、吉原が円に立ち向かうその瞬間にも、捩れつつも発動したに違いない。吉原が、いかに画面上の物質性を排除しフラットに円を塗りこめようと努めても、個性を発揮する主体は、その円自体を歪まさずにはいられない。画面を構成しないではいられない。一見、単なる塗り分けに見えた表面にはその実、慎重に、しかししたたかに、筆致の痕跡を、絵具の滴りを、個の証左として残されているのである。
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「吉原治良展」宮城県美術館(8/6~10/9 2006)