東北芸術工科大学卒業/修了研究・制作展2006

東北芸術工科大学卒業/修了研究・制作展2006を、下記の通り、開催いたします。
どうぞご高覧下さい。
山形展
会期:2007年2月14日(水)~18日(日)
時間:9:00~17:00
場所:東北芸術工科大学、悠創館
 TEL.023-627-2000 http://www.tuad.ac.jp/sotsuten2006/
東京展(東北芸術工科大学 日本画・洋画卒業制作展)
会期:2007年2月25日(日)~3月1日(木)
時間:10:00~17:00 最終日15:00まで 会期中無休 入場無料
会場:上野の森美術館 〒110-0007 東京都台東区上野公園1-2
 TEL.03-3833-4191 http://www.ueno-mori.org


卒展について3――「私たちの場所」とは

 「OUR ART. OUR SITE.」なる文言を冠に掲げる、この卒業制作展は、東北芸術工科大学学内で行われる。これまでは、学内と山形美術館、市内映画館などに分散していた会場は、今年大学内に一本化され、その運営方法も大きく様変わりした。それにあたり、全4年生に向けた説明会、質疑応答が昨年から何度か行われた。僕はそのほとんどに出席することをしなかったため、事情に詳しくはない(したがって、ここに何かを書く資格も本来は有していない)のだが、山形美術館も手狭で良い環境とは言えず、一ヶ所にまとめた方が大学も成果をアピールしやすい、というのが今回の変更の主な理由であろう。狭かったから、という本音だけでは対外的には不味かったのであろう、「私たちのアートを私たちのサイトで」と、そこに声高に意義を唱え、ことさら「地域密着型」の「開かれた」大学であることを強調しているように見受けられる。
 これらの言葉にある種の白々しさが感じられるのは、学生が、心底どれだけこの場に思い入れがあるのかが不問に付されたままだからなのではないだろうか。作家としての自立心も固まり始めた美術科の大学院生も、個展会場の場として選ぶのは、山形ではなく銀座のギャラリーであるし、この日本画・洋画コース卒業生も、山形だけでは飽き足らず、卒展を上野の森美術館に移して開催する。
 今のこの美術業界で制作活動を行い、評価されようと思うならば、より多くの観客とリアクションを求めて場を選ぶのは当然のことだし、その点においては、山形では絶望的に期待できないのが現状である。これから名前を売っていかなくてはならない当の制作者たちは、この東北の地方都市で制作することには困難を感じているのだ。
 ただし、狭い村社会の中だけで充足するのを良しとするのならば、恐らくいくらでも可能なのではあろう。自給自足の生活をし、近隣の年寄りに惣菜や漬け物を差し入れてもらいながら制作する環境は、いくらでもある。村は、その人が美術家という変り種であったとしても、若い人間であればそれだけで入村することを歓迎するだろう。そして、10年後、20年後、地方巡りをしている評論家に「発掘」されないとも限らない。淡い期待を抱いて、山に篭り制作をするのも悪くはないのかもしれない。いや、「発掘」されようがされまいが、ただひたすら芸術のために身を呈して制作に励むという気概がもしあるとすれば、それが美術の徒として最も真っ当で正しい、とすら思われる。しかし、これほど真っ当な制作者はいそうもないし、僕もそうではない。
 そうしたことも含め、この東北地方で制作発表していくことの可能性や意義は、どれだけ考えられているのだろうか。 卒展オープニングには、それに関連して「東北発・21世紀のデザインとアートはどこへ向かうのか?」(酒井忠康+茂木健一郎+宮島達男)というシンポジウムが開かれるが、しかしそれだけで充分だと考えているのだろうか。もちろんこれは、まずそこで制作をする者が自ら考えるべきことだが、卒展のテーマをそれとするならば、何を持って「私たちの場」と考えているのか、「雪国の美しい景観」だとか「オンリーワン」だとか訳のわからない言葉ではなく、卒展企画の意図を示してほしかったように思うのだ。それがなければ何も「発信」することなどできないだろう。
 ここで、実際に展示を行う場を確認する。
 絵画棟に関しては去年の夏休みの期間、アトリエを改修した。これまでは、コンクリート打ちっぱなしの灰色の壁を、白くし、いくつかの壁をぶち抜いて広くした。アトリエとしては欠陥であった西日が入る窓にも、遮光フィルムが張られた。個人的には、コンクリートの灰色の壁のままでも良かったのではないかと思う(おめかしするのではなく、そこで制作してきたという、それこそ「場」のアクチュアリティがあったはずだ)が、確かに白い壁になったことで、空間の明るさが増し、ギャラリー的にはなっている。
 改修するのは良いとしても、本当に他に吟味する余地はなかったのだろうかと思う箇所がいくらでもある。展示の為の移動式パネルが組み込まれるための取り付け部分が縦横に張り巡らされ、空間としては余計なオプションが増えた。そしてこれは、展示のための改修として美術大学がやっていいこととは思えないのだが、いくつかの場所ではその取り付け部分が蛍光灯の下に通っているために、展示する壁面にくっきりと影のラインを落とし、それはそこに展示する絵画作品の上にも被ることになる。据付の蛍光灯以外の光源は、大学側は用意していないようだ。
 壁面を均等に分割するならば、一人4.5mあるいは6mの壁面を使うというのが当初の規定ではあったが、しかし、出される作品サイズも点数もやはりまちまちなので、一人一人の作品に応じて、また全体性を考慮して配置された。大人数の作品が一堂に会される卒展としては、比較的充分なスペースが与えられることもあり、立地条件や観客動員数などを除いた展示環境だけを考えれば、良い環境の部類に入るだろう。
 さて、どうこう言っても、今年はリニューアルする卒展の第一回目ということもあり、それなりに力は入っている。そして、これから継続していくことでさらに発展していくことにも期待したい。まずは、今回の卒業制作展により多くの方々に来場していただき、私たちの場をというものを読み取っていただければ幸いである。


提出からこれまで

 これまで、確かに忙しかったのだとしても、それを理由にここに書き込むことが途絶えてしまう、これではあまりに凡俗で芸がないだろうと思わないではなかった。途絶えてしまったことで親切な読み手に忙しさを察してもらうのではなく、忙しさの最中にその忙しさを事細かに記述できればまだ少しは感心なものの、残念ながら書き手のキャパシティも実際本当に少ないのだ。今に至って山は越えたように思うので、卒展に向けてのこれまでの動きを残して、「復帰」としたい。
 1月24日は一応の卒制提出の締め切りだったが、その日は単に、普段と同様、指導教官がアトリエにやって来て「出来ましたか」と聞いて回るだけだった。事情の如何に関わらず完成に満たないものは受理しない、その後の加筆も認められない、というような提出にまつわる厳格さは微塵もなく、期限もあってなかったようなもので、教官も残り最後まで描けと言うし、学生は最初からそのつもりで、引き続き制作に邁進するのであった。僕は愚直ながらも計算通りに(と書くと、楽々済ませたように聞こえるが、実際は息も絶え絶えと)、その日の昼までに全ての工程を終えきっちり仕上げていたのだった。拍子抜けだった。
 25日に、カタログ用の写真撮影のため、壁面に設置した。撮影は、26、7日の大学入試期間を空けて、28日、朝の6時からプロのカメラマンが来て、4年生全員分を撮りきった。2月に入り、出来上がった写真を選び、色校正を行った。その時もう少し明るくと指示をしておいた僕の作品写真は、再校のときには白が飛んでいたような、ということを人に聞いた。というのは、僕は再校のときは不在で確認できず、従って、白が飛んだらしいそのままの写真で図録となって出回ることとなるのだった。出来上がりを待つのみである。
 6日は、これまでの制作の場を、今度は展示の場に変えるべく大掃除を行い、今日の7日は、実際の展示場所に、展示を行った。展示レイアウトは、土壇場で、模型でのシュミレーションとは大きく様変わりした。それというのも、学生の展示だからというので関与しないはずだった教官が、遂に見かねて口を出したのだった。ま、例年のことだ。僕の作品も収まるところに収まったように思うし、皆さんの気苦労に感謝したいところである。明日、展示された作品を前にしての、教官らによる講評がある。