人格の三つや四つ

 誰だって人格の三つや四つくらい持っている。普通のことだ。
 文章の上での私は読んでの通りだいたいこんなふうだし、現実世界ではもっと人当たりのよい私を心がけている。ティーピーオーによってはいくらでも細別できるが、主に表に出てくる私としては、大別して、「文章上の私」と「現実世界の私」の二つの枠組みにくくられる。両者の間には多か小かは知らないが、確実に差がある(と信じている)。いずれの「私」がより本当の私に近いというのではないが、どちらか一方だけと接している人(といっても可能性として、ここの文章にだけ接している人)は、その人格が私の全てではないということを最低限ふまえてほしい、とそこまで思うほどではない。
 それはさておき、その二分割のどちらにもすんなりとは(私自身が)当てはめられない「私」がいて、それはメール上で出てくる私なのだ。私はメールを書くとき、何らかの戸惑いを感じずには、その文面での「私」に語らせることができない。これは、高校生のときに初めて携帯を所有し始めたときから依然として持っている困惑で、このメールの中で話している私とはいったい何者なのか、と。


搬入日の無駄話

——おまえの作品の位置、高すぎない?
——まあね。でも思うところがあって。
——どんな?
——ええと、つまり、「私たちの場所」ってことかなあ。
——それって、展覧会の?
——そうなんだよねえ。まあ、展覧会をまとめあげる大文字のテーマとしてはおあつらえ向きだったんだろうなあ。今回から大学で展示をやることになったというわけだから。
——そうでなくても、〈特定の場所〉だからこそできるもの、みたいなものは、もう一つの価値として確立しているけどね。で、どんな関係があるの?
——うん。で、それで、とにかく大学で展示をやるからって、アトリエを改修したじゃない?アトリエで展示するからって。もともとはコンクリートの壁だったのを、わざわざ白い壁にしたんだよね。ただ絵を飾れるようにするなら、上のほうにピクチャーレールを敷いて、ワイヤーで吊るせるようにでもしさえすれば事足りたはずだった。
——でも白い壁にしたのは、やっぱり展示する場所は白いところがいいっていう判断だったんだろうね。グレーの壁だと、絵がよく見えないでしょ。
——そうだね。ぼくの作品もとりあえず白い壁に合うとは思うし、そういうところで展示させたいとは思うけど。でも考えてみれば、そういうホワイト・キューブというもの自体、近代的な展示の制度なんだよね。中性的な空間のなかで作品だけを浮かび上がらせるという。
 そうすると観念的にいえば、山形だろうが東京だろうが、ニューヨークでも平壌でも、周りを真っ白な壁に囲まれていれば、どこでも一緒ってこと。作品とだけ対峙するんだから。ホワイト・キューブを指向するってことはつまり、そういうことだと思うんだ。
——じゃあ、部屋を白く塗りつぶしてしまうってことは、〈場所の特定〉(サイト・スペシフィック)を塗りつぶして、〈非特定〉(ノン・サイト)な空間にするってことにほかならない。とすると、「私たちの場所」という〈特定の場所〉と、ここの展示空間ってほとんど相容れないように思えるのだけれど……。
——まあ、他の学科のことはよく知らないけれど、少なくともぼくたちは、一枚の絵をどう構築するか、どう見せるか、ということが重要だったと思う。というか、そういう教育を受けたといってもいいけど。
 だから、さっき絵を展示するときも、壁の端から端まで糸を張って、画面の中心を目線の高さにそろえたり、間隔を均等にしたりしたけれど、これも、展示の決まり事っていうか、一つの制度だよね、場所性を消して、純粋に絵を見せるための。
——絵が自然な風に視界に入ってくる方が、単純に絵の内容に集中できて、入り込めるからね。たしかに、やっぱり絵画を提出するっていうことが第一にあっただろうから、〈特定の場所〉は、良くしても二次的なものにならざるをえないのかもしれない。
——それにもかかわらず、展覧会として、「私たちの場所」なんてものが大文字で出ているから、どうしても疑念を起こさないではいられない。
 〈特定の場所〉であることに大きな価値をおきながら、展示の場として用意されたのは、ノン・サイトを指向する白い壁だったり、かと思えば、工事がお粗末で中途半端に特徴のある空間であったり、なんともいえない気持ちになってしまう。
 理念として掲げられたこととやってることがあんまり断絶の様相を帯びている気がしないでもないけど、かといって、〈特定の場所〉という理念に従う必要もないんじゃないかな、ぼくたちは。
——それは極端じゃないかなあ。絵を描くといっても、自分の制作する場に無自覚であってはいけないと思うし、というか、意識しようがしまいが、環境なんてものはどうしても作品にあぶり出されてしまうものだし。常に自分のいる場所は相対化して、そうして視野を広げていく努力は大事なんじゃないかな。でも自分の立ち位置を見定めるといっても、月山なんかを描いて、「これが私の場所です」なんていうわけじゃないけど。
——それはそうかもしれない。
 でも、やっぱりぼくには、ハリボテ感というか、ちぐはぐな印象を受けたことは否めない。でもそういう捩じれたハリボテ性みたいなものが、結局は「私たちの場所」に他ならないと思ったんだ。だいたい現代美術ってそういうものかもしれないけど。
 とにかく、この現場が、そうした場所性をもっているということをいくらかでも示唆するために、ぼくは目線の高さをずらして展示したんだ。見やすさを犠牲にしてもね。
——ああ、作品をずらしてすんなり見せないということは、場そのものに意識を向けさせるためか。それは、実際のこの場所という意味でもそうだし、展示の制度としても。
——というのが理由の一つ。そんなこと、誰も気づかないけどね。
——気づくわけないでしょ。
(二月、搬入を終えて。山形にて)


音楽を聴く/聴かないこと3

 悔しいけれど、芸術の感動は形式を知らなくても達成されるのだ。いや、それはもちろん、受け身で待っていれば自然に感じられる癒しのようなものではなく、作品の問いかけにこちらからも応対する気構えがあって初めてなされるものであるように思う。
 グルダの弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタなんて、しかもそれこそ教科書に載るような知られた名曲なんて、誰がどう聴いたって間違いのないところで、だからわざわざ大仰に感激したなんていうことすら失笑ものであることに違いない。けれど、許しを嘆願するのなら、陳腐な言葉でも声に出して吐かねばならないときもある。そこは愚物なりの鈍感さでもってやり過ごしたいところなのだ。
 その陳腐な表現も駆使していえば、ピアノの音にはこんなに広がりがあるのか、ということを、グルダの演奏に対峙したときには、僕は諭されずにはいられなかった。
 グルダが、聴いたこともないような音を弾いたとき、こちらはすぐさま自分の狭い聴き方を修正して対応する。すると、グルダはまたそれ以上の音を出す。その都度その都度こちらの感覚は揺さぶられ、惑わされ、ほとんど瓦解寸前で、それでも音を直視しようとした瞬間に、である。僕は〈聴くこと〉による陶酔感を初めて覚えた気がする。
 こうして、僕は音楽を聴かないことへの罪責をどうにか免れたような気持ちなったのだが、いつでもグルダを聴いたときみたいに、静かなところで時間をとって聴くわけではないし、やはり資質として怠慢な聴き手なので、いつ免罪符が失効するともしれないのである。
 けれども、僕は、自分を守るためではなく、まして他人と理解し合うためでもなく、ただ自分自身が音楽を楽しむために、いつかクラシックを聴く日が来ることを遠くに見やっている。そのときは、あまりに遅れて始まった音楽の受容を後悔はするだろうけど、音楽の暴力的な絶対性にはけっして盲従していないことを、切に願うのである。


音楽を聴く/聴かないこと2

 愚物。いや、実際そうなのだからしょうがない。けれども、音楽的無関心に触れられなければなんとか保てていたかもしれない人格を、水泡をつついて弾くように、一挙に無にされる瞬間に何度か立ち会ってみると、あまりに惨めな罪人のように思われるものだから、少しは人心地を取り戻したいと思った。
 愚物なら愚物として、暗黙の排除にも抵抗し、音楽の強要にも断固として否という、それだけの強さを勝ち得ようとする、過酷な、だからこそ尊い道を行く選択肢もあったはずだった。だが、心の弱い僕は、まずは態度を留保にして、音楽の絶対性を前に、とりあえずの免罪符を分けてもらいたいと思った。それが、去年の夏くらいのことだ。
 それから、クラシックを聴いている。
 近所の図書館にいってCDを、棚の左から順番に借りて聴くというようなことをしていた。
 にしても、視覚的なものだって聴覚的なものだって、「ただ自由に感じて楽しめばいい」式の素朴な感受性をは、もうどうしたって取り戻せるはずもないところまで来てしまっている。そんなものだから、音楽にまつわる形式や約束事を習得したいと願っているのだった。そうしたことを習得して、僕は初めてクラシックを聴いているといえるのだと信じていた。
 といっても、教科書を片手に壮大なシンフォニーの数々に向かい合うことには、時間的にも環境的にも恵まれていないので、車の中でと、制作の合間にiPodの小さなイヤホンで、本当に聴く気があるの?と自分でも疑わざるをえない、そんな程度にしか聴いてきてはいない。
 だから、音楽「形式」のけの字もいっこうに理解しないまま、もう音楽の絶対性の前に駆逐されるほかないのだろうかと、行く先を思って嘆息していた。
 ところが、だ。「ソナタ」やら「ハ長調」やら「対位法」やらの何たるかはまだ知らないけれど、僕はいま、一人のピアノ弾きの演奏を収めたCDを聴いた、それだけのことによって、降って湧いたかのように免罪符を与えられた気になっている。
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ、第14番〈月光〉、第21番〈ヴァルトシュタイン〉、第23番〈熱情〉という、この作曲家の中期の傑作とされる三曲が、CDの収録曲だった。
 それを弾くのは、フリードリッヒ・グルダというピアニスト。


音楽を聴く/聴かないこと

 どんな音楽きくの?というようなことを、聞かれたりする。とりわけ僕の場合、僕との会話が続かなくなっていった人が、しょうがないから間を持たせるのに無難な質問だとでも思って、それで聞いたりもするのかもしれない。
 どんな音楽を聴いているのか、ということは、その人の人となりを知る手だてになるらしい。たとえ相手の回答が、自分が全く聴かない種類の音楽だとしても、それは間違いなく肯定されるべきものであるらしく、そこに軋轢は生じない。ジャンルは違えども、音楽は音楽なのであり、むしろ積極的に違いを認め合っていこうとする了解がある。
 そればかりか、音楽は、国境も人種も超えた、誰にも通じ合える人類の共通言語なのだそうだ。音楽を通じて、人々は理解し合い、高め合い、信頼し合っている。
 であるからこそ、どんな音楽聴くの?という問いかけは、人々がお互いにわかり合う端緒として発せられる。
 
 だが、質問者は、質問は最初から音楽を聴かないものを排除していることに気づくべきだ。この背後にあるのは、音楽を聴かないものはいないという、ほとんど暴力的な認識である。
 僕には音楽を聴く趣味がない。趣味というか、日頃の生活の中で、あえて音楽を聴こうとする気持ちを起こすことがない。だからほとんど何も聴かないし、好きな音楽もない。
 ところが、音楽は人類に欠かすことのできないものなのだから、音楽を聴かない人間は人類ではない、という取り決めはすでになされている。
 間をつなぐためか、純粋にわかり合いたいと思うためか、どんな意図を持って発せられたにせよ、その質問に、音楽は聴かない、と答えるやいなや、場はますます沈黙に閉ざされ、その瞬間から僕は、ほとんど人格を欠いた愚物としての存在に成り下がる。


体験の記憶、もう一つの

 「故郷の風景や、そこでの記憶は、あなたの作品にどんな影響を及ぼしていますか?」か……。やめた。
 なんてことない出自やとるに足りない貧しい記憶を、もちろんそれら自体は悪いことではないが、いつまでも大事に抱え込んで、さも重要そうに持ち上げて、あろうことか場合によっては後から作品になすり付けることさえも厭わない。そんなものにはもううんざりだ。たいていは、制作の過酷さに向き合えないものが安易に拠りどころを確保しているようにしか思えない。
 それ以前に、その美しい記憶は、どこかで脚色されたものではないのかね。年を経るごとに記憶は都合のいいように改ざんされ、麗しい美談となっていく。それすら信じて疑わない純粋な精神や、あるいは、虚飾された記憶を意図的に利用する狡猾さには、ともに吐き気がする。——
 と、そう書いたところで、さあ、困った。
 〈建築〉を巡る、もう一つの記憶=美談を、ほんとうにたったいま、思い出した。どうしよう。
 ……と、しばらくの逡巡があったことを断って、よし、上の言葉は取り消さないが、書いておこう。——
 こちらは、(調べてもいないが)名もなき建築家が建てた「市民文化センター」でのことだった。私はここで、ある崇高な体験をした(——ほうら、嘘っぽいだろう)。
 どこの義務教育でも行われている、この地域でも、年に一、二度、映画鑑賞や舞台鑑賞のプログラムがあって、小学校のときも中学校のときも、私たちはその「文化センター」の劇場に足を運んだ。
 それは、特にまだ幼い、小学校低学年のときだったと思う。普段のルーティンとは違って、まずは教室の机に向かうのでないだけで気分は開放的だったし、みんなで並んで歩いていったところ押し込められた先が、異質な薄暗い空間で、もうみなの興奮はいやが上にも高まった。こらえきれなくて、一人一人がうめき声を出してみたり足をばたばたさせたりして、明かりが落ちて映画/舞台が始まるまではざわついた喧騒が止むことはなかった。
 私は、やはり胸をどきどきさせてはいたが、わきまえていたので奇声を発したりはしなかった。そのかわり、イスに深々と身を沈めて、ずっと上の方を眺めていた。上の方の、遠い天井にいくつも浮かんでいる大きな「立体物」を。
 おそらくはその劇場の意匠。五角形だったかそれ以上の角があったか、それは暖色系だった。笠状のようでもあったが、平面的で、ステラのシェイプト・キャンバスをいくつも浮かべて見上げたらあんな感じかしら、などといまなら思う。
 そういう奇妙な物体が高く遠くにあって、それだけに深遠なものに映った。私は目を離すことができなかった。やがて、ほとんど中空に吸い込まれるような感覚に陥った。
 いや、もちろん明かりが消えて完全に闇となってからは前方のスクリーン/舞台に向かい合ったし、そこに繰り広げられるストーリーをもそれなりに楽しんだはずだった。にもかかわらず、思い返してみれば、そこで見たどんな芝居よりも、天井にあった物体を見た、という印象の方がいまは圧倒的に勝っている。
 まさに脚色がかった話だ。が、残念ながら、現場に行って確かめてはいない。細部が違ってたらしらばっくれるつもりだが、しかし、本当にあれはなんだったのだろう?
 この体験の記憶をそのままのものであるとして、仮にたとえるなら、クリストのアンブレラ?——形状は似ている気もするけど……。見上げる感じなら、タレル?——悲しいほど違う。
 
 モネ。オランジュリーの睡蓮の間が、まだしも近い。


某サイト管理者の言葉

「このサイトもとうとう完成させることなく、ニューサイトへリニューアルすることとなりました。移行作業はまだ始まったばかりですが、なんとかそちらの方は途中で断念することなく、サイト構築を請け負った者としての責任を全うしたい所存でございます。
ところで、このサイトの静けさとは裏腹に、実際の○○は新しいメンバーも増え、意欲的野心的に活動を続けております。どうか暖かく、かつ厳しく見守っていただけたら、と思います。
ところでところで、このサイトの製作者は、この春に大学を卒業し、プロジェクト自体には表立って関わってはいませんが、上に書くように、せめてサイト構築の責任を果たすことで○○に貢献したいと考えておりますので、どうかこれからも、よろしくお願い致します。
なお、当分先かと思いますが、というか断るまでもないだろうとは思いますが、移行が完了しました際には、このアドレスのサイトは即刻閉じさせていただきます。
2007/4/20 サイト製作/管理者」


市役所の思い出

 親友の石原に噛み付いて東京都知事選に立候補した。そして落選した建築家。その人の代表作、東京・銀座の「中銀カプセルタワービル」の取り壊しが決定したと伝えるニュースをつい先日、見た。
 このところ、よく名前を見る。そう思った理由が、新聞やニュースサイトにその変人ぶりが取り上げられたからというのに加えて、一つあった。
 そのニュースの三日前のことだ。大学を卒業した友人が故郷に帰る前に、最後だからもう少し〈山形〉を見たいと思ったようだった。それは、まあ理解できるが、物好きな人もいるものだと思ったのは、その訪問先の一つとして、どういうわけか私の住んでいる寒河江市を選んで、やってきたことだ。
 祭りなどハレの日ならまだしも、何も見せるべきものなんてないこの町に来た友人を、私はとりあえず、市の観光案内にも載っているわけでもない、寒河江市役所に案内した。なぜといって、いまが旬(?)の建築家、黒川紀章その人の設計だったからである。
 果物の生産を売りとする、地方のそのまた地方とでもいうべきこの町にも、それにふさわしい「新陳代謝」が粛々と進行している。すなわち、商店街では次々と店がつぶれ、新たな店舗に塗り替えられ、やがてまたつぶれていく、というような。そうした代謝も徐々に静態化し、空き店舗が増えてきた。
 一方で、毒でもカンフル剤となるのなら、といわんばかりに打ち込まれるのが、大型パチンコ店の類なのであった。
 そんな、何でもない田舎町の、かつては文字通りメインストリートであった「中央通り」を駅から下っていったところに、その建築物は(代謝されずに)ある。
 いかにも官庁舎にふさわしく、その堅牢なモダニズム建築は、重苦しく屈強で、頑として動かしがたい存在感がある。正面の受付くらいしか利用したことがないから、建物の合理性や機能性のほどは知らないけれど、少なくとも市民への「親しみ」を装うそこらの花壇なんかは、むしろ取っ払ったほうがいい。そうしてますます険しくさせたいところだが、いや、どことなく間の抜けた愛嬌もある。
 台座(一、二階部分)の上に、それに二回りもはみ出して大きい直方体(三、四、五階)。その(非)バランスの妙は、神妙さの中にもどこかしまらなさを漂わせている。
 好きな建物だ。幼少の頃から。
 小学校に入るか入らないかの頃、姉に連れて行ってもらっていた。建物を見物に、であるはずがない、そこにある池が、その目的だった。池というより、建物付属の矩形の水場だが、当時はそこに鯉が泳いでいた。それらにえさをやるのが、無上の楽しみだった。
 その頃から内気な私は、姉に何度も連れて行ってほしいとは、口に出してはいえなかった。だから、ときには一人で行った。いまでこそ目と鼻の先だが、当時は、一人でそんなところに行くなんて、もう大罪を犯すような気持ちなしではいられない、あくどい危険な行為に感じられた。
 というか、地理感覚も備わってはいない頃だった。あの鯉のいる池に行きたい、池は四角いものの隣にある、四角いものは、家から少し行けば見えてくる。断片的な風景をたどっていかざるをえない、その連鎖の中でも、池の鯉とあそこに見えている「四角いもの」の一角は、たしかにつながっているという確信だけはあった。
 食パンをちぎって投げ入れたときの、ばしゃばしゃと群がる鯉たちの必死の形相のほうが、そのときの私には遥かに異様に思えたし、面白かった。だが、手元に食わせるものがなくなって、愛想を尽かした鯉たちが散っていったときには、私は、あの巨大で無機質な、四角い建物を見上げていた。