去年から一年

 6月の展覧会のアナウンスをしました。
 去年の今頃は何やってたんだっけなと思って、自分のブログを見てみると、ベルリンでの滞在を経てストックホルムに戻ったころなのであった。あっちにいたのは一年前のことだった。あれから一年経った。もう?まだ? いや、実際のところは気分としてはずいぶん時が経っているような感がある。6月入ってすぐ、だいたい同じ時期に展示をやっていたんだな。


卒業制作選抜展2007

東北芸術工科大学 洋画コース
卒業制作選抜展2007
2007年6月4日(月)〜 6月9日(土)
am11:00〜pm7:00(最終日pm5:00まで)
銀座東和ギャラリー
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上記の展覧会に参加します。
卒業制作の展示ですが、場所の関係上、僕の作品は、展示風景の写真とドローイングなどに代えて出品したいと思います。


Joost

 Joostというインターネットのテレビがあって、いまはβ版らしいが、試しに見てみた。YouTubeのようにwebブラウザ上で見るのではなく、専用のアプリケーションをダウンロードして使う。現時点では英語の番組しかない。
 ネットでは、動画関係などはYouTubeも含めてあまり見ていなかった。Joostは、とりあえず新しいものということで試してみたが、いまのところのコンテンツはともかく、けっこう良さそうな感じはする。画質もまあまあいい。
 ふつうのテレビはほとんど見なくなっている。いつぐらいからだろうか、大学入ったときくらいからか。生活している中でテレビがあるところにいる時間の割合がとても少ない。対して、インターネットはわりと利用している方だと思う。
 テレビがどうしようもなくくだらないとかいうのではないけど、時間が決まっているのがやっぱり見ない原因になっている。何か見たいものがあったとして、あらかじめ新聞の番組欄をチェックしておかなければならないし、その時間はテレビの前にいなくてはならない。そして続きはまた来週、というような、来週の同じ時間にまた見たいと思うかどうか、見れる時間があるのか、そういう保障もない。まとめて見れた方がよっぽど効率がいい。ビデオをとっておくとか、そんなことしようとも思わない。テレビを見る時間だけではなく、それに伴ういろんなことが積み重なって、ロスが多いように思う。
 だからといって、ネットで効率よく必要な情報だけ集めることができているわけではないのだから自分でも嫌になってしまう。いまだに意味もなくブックマークを惰性で巡回したりしていて、無駄が多い。もうほんとうにただの惰性的なところはばっさり切り捨てていければいいのだけれど。


空が青い

 天気がよく空が青い。
 [前回への補足]僕の思い出が分かち合うものではないのはその通りだが、でも、さっぱり写真を共有しなくていいというのは、ちょっと考えが貧しいかもしれない。僕が積極的にそうしているかどうかは措くとしても。
 僕にとって必要のない写真であっても、そのとき隣にいた人がたまたま撮り忘れたものであったり、誰かにとって有用なものとなる可能性はあるだろう。だいたい人が集まったときや、遊んだときなど、個人個人で写真は撮るけれど、後はそれっきりということが多い。そうしたものを、もっとうまく、一つのところでシェアできるといいと思うのだけれど。
 というか、こういう話になると、僕がそうしたものの輪の中に入っていないだけ……、みたいなふうに考えが及んでしまうのが嫌なのだけれど、でも案外、上手にウェブのツールなんかを使っている人は多くはなさそうだ。


写真とのかかわり

 デジカメで撮った写真なんかは、最近、面白いと思わなくなってきた。「面白くない」というのはちょっと違うな。なんというか、自分が撮ったそのデータを、例えばバックアップを何重にも重ねて保存しておきたいとまでは思わなくなってきた。もちろん、ある日突然すべてのデータが飛んでしまえば悲しい。つまりは、写真なんか全く残さなくてもいいということでなく、デジタルである必要はまるでないなということだ。
 デジタルデータは基本的には不変だとして、フィルムとは違って色あせたり朽ちていったりしないだろうが、そもそもそんなに保存させておく必要があるのだろうか?僕が撮った、どうでもいい風景のスナップとか友達の写真とかがデータとして残ったとして、僕の孫の代の人たちがどれだけ面白がって見るだろうか?孫の代ならまだしも、それより先になるとほとんど他人みたいなものだろう。ブログかなんかのテキストと写真データがすっかり残っていて、完璧にその人の人生を後追いできるとしても、研究対象となるようなよっぽどの人物でない限り、そんなものにいちいちつきあったりはしないのではないだろうか。ほんの一部分だけ残っていれば充分なのだと思う。
 僕本人は、まあ老後にでも、たまに眺めたりするのかもしれない。でも結局、アナログなフィルム写真の方が見ていても面白かったりする。
 学生が終わりになるときなど、いきおい記念写真とかを撮ったりすることが多かった。まあ、だいたいはみんなデジカメなんだけど、一部の人たちが、チープなトイカメラとか使い捨てカメラとかを好んで(だと思うけど)撮っていて、出来上がった写真が面白いな、と思った。写真自体はきれいでもなんでもないんだけど、出来上がった写真を、指紋をぺたぺた付けながらみんなで回し見したりする、そういう扱いを含めて。
 デジカメでもプリントすればいいのだけれど、データはどうでもよいのだとすれば、やっぱり最初から銀塩でいいことになる。写真を撮る枚数がそんなに多くないから思うことなんだろうか。もちろん、たとえば仕事で撮るのだったり、作品の記録用にしっかり撮るのは話が別だ。あるいは趣味とさえもいえないようなもので、ただ些末な思い出をささやかながらも玩味したいがために残す、僕個人の写真とのかかわり方なのだ。
 データにしておく利点は、とりあえず思いつくのは、「検索」と「シェア」ということなんだろうか。うん、きっとその思い出は、後からわざわざ探し出すほどのものでもないだろう。何かの拍子にひょっこり出てくるくらいでいい。多くの人と分かち合うものでは、もとよりない。


免許更新

 少し前になるが、運転免許の更新を済ませてきた(「少し前」ばっかりで日記にならない)。一番最初に取ったのが普通自動二輪の免許で平成16年。翌年、普通免許をとって、それから三年経っての、初回の更新だった。
 受付時間が一時間と決まっていて、僕はそのぎりぎりの時簡に行ったのだったが、受付で手数料などを支払って、視力検査、写真撮影と進んで、その後すぐ講習が始まった。僕を入れて10人だったらしいけど、受付開始すぐに来た人は、一時間近く待っていなければならなかったんだろうか。初回更新なので二時間の講習だったが、他に待ち時間などがさっぱりなく、とんとんと新しい免許に書き換わった。写真も、前回とは違ってまともな写りだった。
 僕はそんなに、ちょっと峠に行ってこようかな、みたいに思うほど車を運転するのが好きな方ではないし、だいたい峠どころか、家と学校の往復やそこらへんの街中の移動に乗るくらいで、それも他の交通機関が不便すぎるというか選択肢はないも同然なので車に頼らざるを得ないというようなところがある。
 まあだからといって、好きでもないし楽しくもないから、これからの人生、もう免許は持たなくてもいいや、というふうには絶対できないのだなあ、と思った。できることはできることとして維持していかないと、何がというわけではないが何かしらの支障が出てくるわけで、そうした支障もしっかり見通して回避しなければならないのが、社会生活を送る上での最低限のつとめなのであった。
 バイクの方は、つとめでなんでもないからだろうか、距離的にはともかく気持ちとしてはもうちょっと能動的に乗っている。けれど、バイクに乗っていて一番楽しいと感じたのは、他でもない、教習所で、といってしまうのだから、底は知れているのかもしれない。とにかく最初の最初、教習コースの上で初めてバイクを動かしたとき、その面白さと世界の広がりを予感させる形で、こんなに楽しいものが世の中にあったのか、といい知れない感激を受けたのであるが、しかし免許を取って公道に出てからは、ちょっとその感動までには及ぶことがなかった気がする。乗ってるバイクが教習車の400ccに比べて貧相だからという理由もあるだろうか。それはやはりただの移動手段としての側面しか見えてこないものになっている感は否めず、その場合らくちんさとしては車には及びもしないのだから必然的に出番も激減している。いまのところは、だろうか。


千歳山

 千歳山(山形市)に、この間の連休の一日、初めて登った。
 前に通っていた高校からほど近いところにその山は見えていて、古典の授業で先生が、もしこの山が京都にあったならさぞかし名のある山として伝承されていただろう、というようなことをいっていた。古都にあってはだいたいどこを切り取っても説話がありそうなものだが、たかだか500mかそこらで登れば一時間もしないで山頂にたどり着くこの山がとりわけ名を成すであろうと思われるのは、そのフォルムが極めて端正に、こんもりと愛らしく整っているからだ。
 ところで、わざわざ京都に置かなくても、こっちにあったって実は説話はある。阿古耶のお姫様の話。
 それがどんなものだったか忘れてしまった。登ればきっと、これこれこういうお話があるのですよ、とご親切に教えてくれる立て看板みたいなものがあるだろうと思っていたが、頂上にはさして大きくない石碑があるだけで、何もお話を語るようなものはないのであった。


mixiというものがあった

 前に、二人からmixiに誘ってもらったと書いた。一人はその場で承認したが、もう一人の方には、ただの気まぐれで、いまのいままで特に理由もなくずいぶんと長い間承認待ちをさせてしまっていた。ついさっき追加させていただいた。もっとも本人はとっくに忘れていたかもしれないが、ここに(こんなところに?)記して深くお詫び申し上げたい。
 というより僕は即刻退会していればよいものを、承認を問われても断れず、いつまでもうじうじと居残り、時々は小心翼々と人の日記をも覗いたりするだろうことへの口実として、足跡以上のものを残すことは必須であるように思う。そうはいっても新たに書き出すほどの気力もないわけで、かつて書いて送信したメールなどを転載することで、その代わりとしようと思う。
(と同時に、諸刃の剣としてのささやかな嫌がらせを目論みたいところであったが、ちょっとこちらが耐えられそうもないので、送信メールは実に匿名的なものでお茶を濁したい、と。)