山響オーケストラの日

3月31日は「オーケストラの日」なのだそうだ。それで山響もイベントを開催していた。そのうちの一つとしてゲネプロを公開していたのでそれを観に行った。ゲネプロというのは、本番直前のリハーサルのことをいうらしい。ゲネプロの後は、「オーケストラ探検」という企画があって、その後にはもちろん本番のコンサートがあった。それらは観ないで帰宅したのだけれど。
J.S.バッハのブランデンブルグ協奏曲第3番〈第1楽章〉、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」〈第1楽章〉、ブラームスの交響曲第1番〈第1楽章・第4楽章〉というが、本番の主なプログラムだった。
ゲネプロと呼ばれるリハーサルがいつもはどのように行なわれるのか知らないけれど、指揮者もいちいち演奏を止めたり、ああだこうだ言ったりはしないで、本番と同じ流れで通して演奏するのだろうと思っていたら、予想に反して、指揮者は始終マイクで指示を出しながら指揮していた。たしか2、3日前に東京公演があって山形に戻ってきたばかりで、実質的に今日のための練習はほとんどなかったと思うので、そのためもあるのだろうか(本番直前のゲネプロが初めてのリハーサルだったりして)。だからそれは演奏を聴くというよりも稽古を見ているようだったけれど、面白かった。
ブラームスの1番なんかは、時間の都合もあってか本当に部分部分をさらうといった感じで、通して演奏するのは本番だけみたいだ。もっとも楽譜にはその曲のすべてが書かれているようなものなのだから、あらかじめ一人一人の奏者がそれを踏まえてさえいれば、別に全部を合わせる必要はなくて、要所要所での方向性を確認するだけで本番に臨むことができるという、そういうものなのかもしれない。それだけの技術があればの話。
でも指揮者はどのように方向付けをするのか、練習中だったら指揮者は身振りだけではなくて、言葉に出して指示を出す。どういった言葉で、どういうふうに音を導くのか、そのアプローチは興味深いところだと思う。できれば定期演奏会のゲネプロなんかも公開してくれるといいと思う。やっていれば観に行きたい。


バナナのタルト

バナナのタルト
なんということもなく写真には写っているし、黙っていればいいとも思うのに、でも言ってしまえばこれは失敗だった。失敗というか、想定していたものと出来上がったものに大きな隔たりがある。「思っていたのとは違うけどこれはこれでいい」というふうにも特別思えないので、やっぱり失敗なんだろう。
半割にしたバナナをフライパンに並べてバターを一欠けと砂糖を振りかけて焼く。ラム酒でフランベする。それをタルト台に敷き詰めて重ねていく。その上から砂糖を振りまいて、バーナーか焼きゴテでキャラメリゼをする。
というそれだけの工程だけど、そのレシピを見て頭の中に思い描いたようには、素材は変化していってくれなかった。炒めた段階でなんだか水分が多くて、バナナのジャムみたいになってしまって。もうちょっと身がしっかりしていた方がいいと思う。それに、キャラメリゼをするというのにしても第一道具がなかったわけなので、これはもう最初から出来っこないというか。スプーンを焼いてコテの代わりにするという方法があったけど、たぶんこういうのは、ちまちまやったところでうまくいかないから。
一日経ったら表面のバナナが変色してきて、なおさらおいしくなさそうになっていた。写真の表面が色づいているのは焼き色とかではなくただ変色しているだけ。あまり置いておくようなものではないな。


蔵王の樹氷

樹氷
 ちょっと前に蔵王の樹氷を観に行った。冬の期間、蔵王の山頂では夕暮れから夜にかけてライトアップしてある。観に行ったのはそれの最終日だった。
 ロープウェイの切符を購入する。切符は絵葉書になっていて樹氷のライトアップの写真が載せられている。切符に鋏を入れてもらい、乗り場から丸みを帯びたロープウェイに乗り込む。もう夕方だからか滑走する姿も疎らなゲレンデや、木々に覆われた山肌の上を一気に登っていく。
 途中、乗り換えを含めて15分かそこらで山頂に到着する。
 ロープウェイに乗り込む頃は、まだ空は明るかったが、着く頃には群青色みたいな感じになっていた。それからすぐ真っ暗になった。日中の滑走路へと続く道や樹氷群の前はロープで仕切られているため、見て回れる範囲はごく限れたものだ。
 照明のライトが煌々として、樹氷を切り出している。それも虹色に。赤や青や黄色などの原色の影を染め出している。霧氷が蓄積してできるきめ細やかなテクスチュアが見える。俯瞰してみれば、巨大な樹氷の一つ一つが山肌を覆う外皮となる。
 外気が並に寒いのではないので、ロープウェイの乗降する建物に入って心地を整える。

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クレープ

クレープ
クレープを焼いて食べた。
生クリームと、フルーツはいちごとバナナ。


山響ホリデーコンサート

東根のさくらんぼタントクルセンターというところでやっていた山響ホリデーコンサートに行ってきた。
プログラムは以下の通り。有名曲なんか気恥ずかしくて人前では聴けないというほど、僕はクラシックに通じているわけでは全然ないので、こういう初心者向けのコンサートにこそ積極的に足を運びたいのではあったのだが。
歌劇「フィガロの結婚」序曲/モーツァルト
ブラームス/ハンガリー舞曲第5番/ブラームス
指揮者って何だ? 君もあなたも山響の名指揮者!
  (ラデツキー行進曲/J・シュトラウス1世)
音楽物語「ピーターと狼」/プロコフィエフ
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」/ベートーヴェン
三番目のは、観客に指揮を振らせるという企画。
別に、解説なんかはまったく無用のもので鑑賞の妨げにしかならない、みたいなことを言いたいわけではないし、むしろ逆なのだけれど、ただ今回、それがちょっと過ぎるように思えて残念だったのが、最後の交響曲第五番だった。
というのも、通常は交響曲というと、第一楽章から始まって第四楽章まで演奏して、拍手、という形式だけれど、今回の演奏では楽章ごとに解説が入ったのだった。さすがに楽章と楽章の間にまで説明したりしなくてもいいんじゃないかと思って。いや、別にやったっていいんだけど、なにもプログラムのメインでやらなくっても良いだろうということです。最後に一つくらいは作品に深々と浸かって聴き入りたいじゃないですか。
「ここに運命の動機が現れるのですよ」なんてあらかじめ念を押されて、なるほどたしかにその音には敏感になるかもしれない。けどそれで曲中にそのリズムを見つけたとしても、それはただ単に確認にしかならないわけで、本質的に作品を享受することとはまるで違う。
本当はクラシック音楽なんて(大きく芸術と言い換えしてもいいけど)けっしてわかりやすいものではなくて、少なくとも僕にとっては、見ても聞いてもさっぱりわからないものが大部分を占めている。それを誤摩化したり、耳障りの良いわかりやすいところだけ取り出してわかった気になるのではなく、本来わからないものとして引き受けるべきなんだ。それにはそれなりに気構えと忍耐と知識が必要だとも感じている。
ともかくも、しょうがないからCDで何度も繰り返し聴いている。交響曲第五番はじっくり聴くと、ただ有名な曲というだけでなく本当に名曲なんだと思える。ものすごく緻密に構成されていて、ちょっと他では味わえないような独特の陶酔感がある。曲は残酷な第一楽章から始まり、転じて、たおやかに第二楽章が進む。そして第三楽章から終楽章へと劇的に高まりを見せて展開していく。これらはすべて、冒頭のあの特徴的な動機に導かれ、進行していく。
これは一連の流れで聴くといいと思うんだ。やっぱり。
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」&第6番「田園」