ブルーベリータルト

Blueberry Tart
アーモンドクリームにカスタードクリームを重ねて、その上にブルーベリーを並べた。
ところで、タルトを切るのは結構難しい。特にクリームの上にフルーツをのせるというような場合。外側のタルト生地は固く、中のクリームは柔らかく、上にのったフルーツはごろごろしていたり繊維があったり、まるで切れ方の違うものが渾然一体となっているのがタルトというもので、押しつぶさず、形を崩さず、スパッと切り分けるには、それ相応の技量がないといけない。
切先に神経を集中させ、力加減をコントロールする。そうしているつもりだけれども、その切り口は残念な結果になってしまう。変だなあと思っていたら、家にはぜんぜん切れない包丁しかないことに思い至った。技量というよりもまず道具が必要なのは、もはや明らかだった。
だからナイフを購入した。このところナイフによる殺傷事件なども相次いでいるので、刃物などを買うのは少し自粛した方がいいんじゃないかなどと思わないでもなかったけれど。タルトが切れないということもそれなりに切実な問題だったのだ。
ウェンガー社のスナックナイフというのを購入した。調べたところ、これはパンやケーキやトマトなどがスパスパ切れるという代物で非常に評判が良かった。タルトがよく切れるとの評判はなかったが、切れないということはないだろう。今回試してみると、なるほど良く切れた。鮮やかに切れた。すばらしい。
WENGER Snack Knife


すもものタルト

Plum Tart
そういえば、すももでタルトを作ったのだった。
すももを煮てジャムみたいなペースト状みたいな感じになったものを、生のすももを切ったものに合わせて、それをクリームチーズで作ったフィリングの上に載せた。すももの皮を煮るとすごく赤くなってくる。赤くしたかったから煮たのだけど、こんなに赤くなっちゃうのと思ってしまうくらい、ちょっときつい感じのある生々しい色彩になった。すもものイメージとはちょっと違うけど、それはそれなりに強烈なもので、作ってみて自分で「へえっ」というふうに思った。
肝心の味はというと、いたって平凡というか、すももの酸味がさわやかな感じではあったけど、特別においしいという感じでもなかった。まあまあおいしいというくらいだな。
スーパーの売り場で無塩バターを久しぶりに見かけたので、ちょっと高かったけど買ってきて、今回はそれでタルト生地を作った。これまでよく使っていたマーガリンとでは、やっぱり感じが違うというか、焼け方が違う。たまたまなのかもしれないけど、個人的にはバターを使った方が上手く焼けるようだ。素材に触れていて違和感なく扱える感じがある。
お菓子用のマーガリンなどの「バターと同じように使える」というやつでも、同じように使うことでかえってその違いが浮き出てくるように思う。


『18人の音楽家のための音楽』を買った

しばらくまえに、NHKの「芸術劇場」でスティーヴ・ライヒという人の演奏をやっていて、ミニマルミュージックの代表格という人らしいのだけど、それを観て、すごく良いと思った。それで、ライヒという人の音楽がちょっと気になっていたのだけれど、iTunes Storeで見たらちゃんとアルバムが揃っている。ちょっと試聴してみたら「これはもうどうしても購入して聴きたいな」という気分になってしまって、『18人の音楽家のための音楽』を購入した。
別に、最初から買うつもりで試聴したのでなかった。試聴は30秒くらいのほんの断片的なもので、曲に聴き入るというものでもないし、適当に何気なしに再生したのだった。でも30秒も聴くまでもなかった。瞬間的に、放送を観て聴いたときのあの感覚が蘇ってきて、「ああ、あれはすごかったなあ」みたいな感じで、思わず買ってしまった。放送からだいぶ経ってるのに、あのライヒの曲を目の当たりにしたときの感触が、思いがけず強くわき上がってきたので驚いた。
思うのだけど、あのテレビでの演奏を観なかったら、こういう音楽は買わなかっただろうなという気がする。もっとも「こういう」なんて限定を付けなくてもあまり買うことはないのだが。僕としては現代音楽なんかはまだまだ聴く段階にはないし(おかしな話だとも思われようが)、他にも先に購入して聴きたい曲はいくらでもあったわけだし。たとえ部分的な試聴ではなく、iTunesとかCDとかで全曲通して聴いたところで、買おうとはしなかったと思う。繰り返し聞いてるうちに、知らず知らず引き込まれてしまうことはあるかもしれないけど、一度聴くくらいだと、まず、そんなにすごいとも思わなかっただろう。
それが、放送を見たときには一回で衝撃を受けたのは、テレビの映像を通してということではあるにしろ、この曲の実演を見たからだと思う。実演といっても何も特別なことをやっているわけではない。ミニマルというくらいだから、あくまで単純な音が反復されていくだけで、大げさな展開があるわけではない。淡々と演奏がなされていく。けれども微妙な移り変わりがある。
ひとりひとりは単純な音型を演奏するのだけど、その余剰を省いた音が積み重なると、なんともいえない深く豊かな鼓動に昇華していく。そうしたことにまず感動させられると同時に、その演奏をぼーっと見ながら、木琴をたたいたり弦をこすったり、そういうことをするから音が出るんだ、音というのは音を出すから音になるんだ、とか、そんなこと思ったのだった。
鍵盤を弾くとか、発声するとか、音というのは、そうした行為に付随して生まれてくる。音を聞いているときにその音を発生させている行為が見えるということが、その音の聞こえ方というか、印象にも随分影響するのだろう。実際のところ、演奏するという行為にはそれ自体にすごくインパクトがあるというか、視覚的な部分が伝えるものは大きいように思う。実際に目の前で演奏されるとそれだけですごいと思っちゃうことがあるわけで、言葉悪くいって「はったり」的な効果もあるかもしれない。もちろんそれは、受け手側の問題だし、慣れみたいなものもあるだろう。
ともかくも、『18人の音楽家のための音楽』というのは、電子的に音を作り出したり制御したりしているのではなく(よく知らないけど)、題名そのままに、音楽家が奏でる音楽なんだなあ、と思う。現代音楽とかミニマルミュージックといっても、これはいわゆるクラシック音楽とあまり変わるものではないと思ってもいいのかもしれない(ライヒの楽譜は五線譜に書かれているのだろうか?)。
「芸術劇場」でライヒを聴いて/観て、すごくいいなと思ったのは、たぶんそんなところなんだと思う。というか、単に僕がはったりに弱いというだけなのだろうか。それはそうかもしれない。
Music for 18 Musicians