マルセル・プルースト『失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へ I』

『失われた時を求めて』の第一巻を読み終えた。
物語は、眠りにつくときの描写から始まる。朦朧とした状態で自分がどこに寝ているのかわからなくなって、自分の住んだいくつかの部屋を想起したりする。その眠りについての考察だったり、そこからして面白いなあと感じてしまう。この語り手の繊細な感性というのは、人によっては辟易してしまうのかもしれないけど、僕には染み渡ってくるところがあってすごくいいなあと思える。
それから「マドレーヌ」をきっかけとして、コンブレーという土地の幼少期の記憶を思い起こしたりして、様々な人物が登場し、「メゼグリーズの方(スワン家の方)」、「ゲルマントの方」という二つの方角が示されていく、というところまでがこの第一巻の内容。
プルーストの文章は息の長い文章で、それを読むときに、一度に読んでもそれをすんなり咀嚼できないというか、ただ字面だけを追う感じになってしまって頭に入ってこないので、一文一文を二度三度読み返しながらじっくり読んでいってようやく文章が入り込んでくる、というような読み方になってしまう。それがだんだん乗ってくると、文章が入り込んでくる、というよりも、自分がその文章の中に入り込むというか溶け込んでいくといったらいいのだろうか、そんなふうな感覚になって、そうなるとそれはすごく陶然とする読書時間なのであった。
この第一巻の巻末には、登場人物の一覧のほか、全篇のあらすじが載っているのだけど、それを見てみると、第一巻はやっぱり序曲に相当するもので、後に語られる物語などはさらにおもしろそうで、これから読むのがすごく楽しみだ!


十和田市現代美術館

十和田市現代美術館
仕事が早めに終わって少しだけ暇な時間が出来たので、十和田市現代美術館に行ってみた。時間があるといっても、宿泊先が八戸市で、そこから車で出かけると閉館までに間に合うかぎりぎりだなあ、というところだったけど、とりあえず行ってみることにした。十和田市には以前も一度来たことがあり美術館の前も通り過ぎたことがあったので、行けばすんなりたどり着くだろうと考えていたのだが、ちょっと迷ってしまって(車のナビが古いので電話番号を入れても出てこないのだ!)、5時閉館で4時30分まで入館しなければならないところ、4時38分に着いてしまった。残り時間を考えると、どうしようかなあと感じだったのだけど、せっかくなので「山形から来たのですが…」と言ってお願いして入れてもらった。
足早に、さらっと表面を舐めるようにだけ順路通りに見て回る。5時前に見終わったので、帰ろうとしてそそくさと出口に向かうと、「あと5分くらいありますから」というふうに気を使っていただいたので、じゃあ、と思って、踵を返して、受付の隣の部屋にある、ロン・ミュエクの〈Standing Woman〉を椅子に座って眺めていた。というわけでこの作品だけは比較的多くの時間を鑑賞に費やすこととなった。
これは何人かは判らないがまぎれもなく西洋人で、これが日本人のおばあちゃんだったらどんな印象なのかなあとぼんやり思っていたのだけど、べつに西洋人だろうが構わないというかこれでいいのだと思った。青森県だから「東北のおばあちゃん」なんていうのもすごく陳腐なイメージだし、実際僕はこれを見てこんなふうに日本のおばあちゃんを想像もしたし、またそれはすごく個人的な、僕自身の祖母の記憶へと繋がっていくものだと思った(というかまだご存命だけど)。


いちごのチーズケーキタルト

Strawberry Cheesecake Tart
おいしそうでしょう? いや、おいしいのです。これは。
前にいちごのタルトを作ったときは、タルトの中身はレアチーズケーキみたいなものだったのだけれど、今回のタルトはそこのところを二層に分けて、ベイクドチーズケーキの上にレアチーズを重ねていちごを乗せる、という形になっていて、だからその分手間がかかっている。手間をかけたからおいしいとか偉いとかいうのじゃないし、手間をかけないでおいしいものが出来ればそれに越したことはないわけだけど、それなりに手間をかけないと得られない豊かさもあるし、しかしその手間をかけるという作業を僕は楽しんでいるのかといえばそれは微妙なところだなあ。じゃあ何が楽しいのかというと、かけた手間と手間とが後になって組合わさるときに、それがそこそこうまく調和をもって成されたと思われるときの、ほとんど一瞬くらいのものなのかもしれない。
小さいいちごは見た目にかわいらしく魅惑的なもので、クリームの上に並べるだけでそこに心を惹かれるなにかを見いだしてしまうなあと思う。そのいちごを見ているとき、たぶんいままで食べたり見てきたりしたいちごのケーキだったりお菓子だったりが無意識の片隅に呼び起こされていて、それだけではなくそれを食べたときの状況、たとえばクリスマスやお誕生日のパーティーなどでいちごの乗ったケーキを食べたときの暖かく幸せな雰囲気や気持ちの記憶が、今見ているいちごと重ね合わせられている。そんなことを言うと別にいちごに限った話ではなくて、何かを見るということはこれまで生きてきて見てきて蓄積されてきた全体を見ているというか、そういうことになるのかもしれないけれど、特にいちごの持つなんともいえない幸せさはちょっと他の果物には見当たらないかもなあと感じられる。


moo

このブログのドメインというかURLはhagi.moo.jpなのであって、それはレンタルサーバーのやつなのだが、mooというのは何かというとウシの鳴き声なのであり、というわけで今年はウシ年なのでたくさん記事を書いていきたいと思っている。などとほとんどこじつけのように抱負を書くようだけど、それもすでに一月の半分も過ぎたころにようやく書いているのだけど、でもこれからはもっと書いていきたいと思うのは本当のことだ。このところは「これを書こう」と決めていたのは作ったお菓子のことくらいで、それだけだとやっぱりたくさんは書けないだろうし、何か他のことも書かなければならない。とにかくもう何でもいいから絞り出すように書こうとすれば、結果的にでも何かしら書かれてしまうことはあるはずなので、そういうふうにして書いていきたいと思っているところです。
書こうと開き直ればいくらでも書けるかもしれないけど書く気になれないのが仕事のことで、けれども仕事のことや会社のことをべらべら書いてしまうのは、好ましい事柄だけならばまだしもそんなことは決してあり得ないのであるからやはり問題ありなのだ。そのへんはわきまえて書く気になれないままに書かないでいるのが良いのかもしれないけれど、そうしたことに日々のもっとも多くの時間を取られているのはやはり物悲しいものだと思う。いやもちろんそれなりに楽しいこともあるのだけれど。
仕事ではたびたびどこかへ出かけたりすることがあって、行って帰ってくるだけでどこに行っても同じこと、とは思いつつも「〜に行ってきた」というくらいには書くことが出来るかもしれないなあと思う。そして今年初めて仕事で遠出したのが、先週だかにはるばる神奈川まで行ってきたことで、しかしこれはほんとに「行ってきた」という他はちょっと何も思い浮かばない。それなりに晴れていて、富士山もかろうじて見えた。暖かくはないけれど寒くはなかった。
晴れていて暖かければ散歩などができていいなと思う。一昨日だったかの休みの日には、こちらも大変天気のいい日で、散歩に出かけて3、40分ほどぐるぐる歩き回ったのだった。日陰こそ雪が凍ってつるつるの状態になっているものの、日のあたる路面は雪なども消えていて歩きやすく、歩いていると体もぽかぽかしてくるし、そうなると冷たい空気というのも気持ちがいいし、冬の散歩なども嫌いではないななどと思ったりする。けれども次の日になるといきなり大雪で、とても散歩に出られるような状況ではなくなっていて、この様変わりの理不尽さには脱力感すら覚えてしまう。そうだそんなときは家にいて読書などをしよう。仕事などをしていると本なども読めなくなるなあとなんとなく思ってしまうのだが、学生のときだってそんなに読んでいないわけで、量としてはまったく変わっていない。
今年に入ってから、というより数日前くらいからプルーストの『失われた時を求めて』を読んでいる。家にあったちくま文庫の井上究一郎訳の第一巻を正月休みにパラパラ読んでみるとすごくおもしろそうで、いっそのこと腰を据えて読んでみようかなと思ったのだった。『失われた時を求めて』は集英社文庫から鈴木道彦訳のものが出ているのだったが、何しろ読むとすれば長い長い読書になるわけなので、途中で挫折することがないよう、いくらかでも読みやすい方を、自分に合っている方を読みたいところだ。本屋で見てみるとどちらかというと鈴木道彦訳が良さそうだったので、まずその第一巻を新たに買ってきて読み始めた。今年一年で最後まで読めるだろうか。たぶん無理かもしれない。でも別に早く読み終えるのが目的ではないのだからそんなことはどうでもよくて、徐々に回想されていく語りをじっくり辿っていくにつれ、思うのは、あたりまえだけど読書の楽しさというのはまさに読んでいる最中にあるのだなあということだ。


この川柳は萌えにけるかも

山の際(ま)に  雪は降りつつ  しかすがに
この川柳(かわやぎ)は  萌えにけるかも    (万葉集)

初詣に山形市薬師町の護国神社に行ってきました。
上の歌は、大吉(!)だったおみくじに書き添えてあったものです。今年は本当に良い年になるといいと思います。


甘栗のモンブランタルト

甘栗のモンブランタルト
スーパーマーケットの入ってすぐのところで売られていた甘栗を使ってモンブランをこしらえた。材料の準備不足で途中でまた買い出しに出かけたり、テレビや新聞を見ながら作ったり、実際のんびり作ろうという心構えではあったものの、結果的には予想以上に時間がかかってしまい、完成までに半日以上を費やすこととなった。半日というより一日といったほうが近いんじゃないかというくらいなのだが、それにしても一体何をするのにそんなに手間を取られたのか、あとから振り返ってみてもよくわからない。栗をつぶして裏ごしするのはすごく大変で、フードプロセッサがあればこんなのはすぐ簡単にできるのだろうなあと思った。
せっかくの正月の連休で、正月でなくとも連休は貴重なはずで、その大切な休暇中なのにこんなものを作るのに半日もかけてしまったという、後悔というか自己嫌悪に近い気分を味わうはめになってしまう。試食してみると、栗のクリームにコクがあってけっこうおいしいじゃないか、とも思われたのだが、そのささやかな満足にしてもかけた時間への後悔と相殺されるくらいだろうと思う。
そんなこんなでも、もう作るのなんてやめた! というふうには(良いのか悪いのか)至っていないので、今年も趣味として楽しくお菓子などを作っていけるといいと思ったし、ただ漫然と作るんじゃなくてせっかく作るのだったら出来るかぎりおいしく作りたいというのが今年の願いだ。