海の方へ

海はすぐそばにあって、けれども草むらのような、畑のような、なんだかよくわからない手入れされていない土地や、そこらに建つ家などに阻まれて、とぎれとぎれに見えるだけで、海のひらけた感じというか、広がりというか、それはどこからか見えないものかなと思って少し歩くことにした。
直線では海岸まで500mといったところで、しかし行く手を阻んでいるのはやはり草むらや畑などであって、どこから海辺まで下りていけるのか道が見当たらず、ただ海岸と平行に歩いてみる。ようやく海の方に向かって細い路地がのびていて、でもこれはどこかの民家の敷地に入っていく道なんじゃないかと思えるほど、狭く、見通しの悪い路地だったのだが、知らないふりをして入っていった。路地は思った以上に入り組んでいて、途中で線路を越え(こんなところに線路が走っているなんて、上から見たときは思いもしない)、越えたところで踏切のバーがカンカンと鳴りながら下りてきたので、振り返って電車が横切るのを見た。
やがて狭い路地を抜けると、海岸沿いのちゃんとした道路に出て、それを渡ると堤防まで出た。海。良く晴れた日で、もう早朝とは言えないけれどもそれは朝の光で、というか波が光を砕いていて、眩しくて、きれいだなあと思った。歩いてきて暖まった体には、まだ少しひんやりした気温がちょうどいい感じで、その温度と光の感触というのは、なんというか健康的に感じられるもので、すごく心地良いものだった。別に海を見ながら不健康な物思いにふけろうとか、そういうつもりはぜんぜんなかったけれど、こんな健康的な感覚というのは、意外といえば意外で、歩いてきて良かったなと思った。
ただ着いた先に海があって、散歩がてら行きがかりで見ることになったわけで、けれども風景にはいつだって行きがかりで出会うものだし、そういった風景にはどこでも、僕はずいぶん助けられていると思った。


ガトーショコラ

Chocolate Cake
材料:板チョコ2枚、バター100g、生クリーム50cc、卵黄3個分、砂糖30g、薄力粉30g、ココアパウダー30g、メレンゲ:卵白3個分、砂糖30g


眼鏡がまた壊れた

目のあまり良くない僕は、眼鏡またはコンタクトレンズなどで視力を全く矯正しない状態であればまともに生活はできないだろうな、実践したことはないけれど、というくらいの、裸眼であればぼんやりした視力の持ち主で、それで、何で矯正しているのかというと最近はコンタクトも使用しているけど眼鏡を掛けている方がまだ多い。その使用している眼鏡は、前にフレームが折れたことがあって、そのときは接着剤で応急措置を施し、あとは日常の使用には全く支障がないのでそのまま使っていたという経緯があったのだけど、しかしその眼鏡がまたもや壊れた。
気付くと眼鏡のつる(というんだったっけ、あの耳に掛ける部分)が取れていて、ああまた折れたのかと思ってよく見てみると、接続部分のねじが外れていたのだった。要はねじがとれただけだから、「壊れた」と書く程のものではないのかもしれないのだけど、外れたねじが運良くそこら辺に転がっていたのをすぐに見つけたからまた修理もできたものの、紛失してしまっていれば修理のためには接続部分を接着剤で固着させなくてはならず、そうとなれば、もはや折りたたみも能わない眼鏡へと変貌していたことであろう。
見つかったのは良かったんだけど、この小さなねじを締めるドライバーが手元になく、きつく締め付けることができないでいるので、依然としてつるはカクカクと動くし、なんだか前よりもよくずり落ちるようになった。気分としてはもうこんな眼鏡はやめてこれからはちゃんとコンタクトにしようかと思うところ。
といいつつ『失われた時を求めて』を読んでいたら、片眼鏡を掛けたスワンを見て、オデットが「あなた、とても素敵だわ!」と飛び上がって喜ぶというところがあって、これは今で言うメガネ男子というか、そういうのがモテる要素でもあるというのは、100年くらい前のフランスでもあったんだなと感心して、眼鏡ってやっぱりいいのかもなあと思ったのであった。


観覧車

20090205この前、岩手県の北上市で、夜の7時くらいだったと思うのだけど、泊まったところのビジネスホテルから近くのファミレスに夕飯を食べに出歩いて、気が付くとホテルの向こう側に円形にピカピカ光るものがあって、それはパチンコ屋か何かの電飾なんだろうとそのときは思ったのだったが、こんどはファミレスからホテルに戻る途中にもう一度それを見てみると、円形に沿って丸い乗り物が付いて回っているように見える。あれは観覧車なんじゃないか、遊園地でもあるんだろうか、などと思って、まっすぐホテルの部屋には戻らず、そちらの方にふらふら歩いていった。
で、目にしたものはやはり観覧車で、ただそこは遊園地ではなくゲームセンターといったところで、周囲をそのゲームセンターやレストランなどに囲われた駐車場のちょうど真ん中にそれは立っている。どうやら誰も乗っている人はいないようだった。それにしても、いくらゲームセンターだといっても、ここに観覧車があるのはどちらかといえば場違いのような気がするというか、ちょっと唐突なんじゃないのだろうか、という印象は拭えないのであった。
関係ないけれどそういえば、漫画家の楳図かずおの邸宅が街の景観に差し障りがあるとかないとかいうニュースがあったんだっけ。そんなことをつい思い出すのだった。まあこんなところは別に住宅地でもなさそうなのだが、観覧車は遠くを見渡せるようになっているわけだからつまり遠くからも観覧車が見えるということでもあって、この周辺にはこの観覧車が目に付くことを苦々しく思う住人もいるのだろうかと思った。
乗り場近くまで歩いていくと、係のおばさんはいるようだけど、他に人気はなく、これから誰かが乗りそうな気配も全くない。うーん、どうしようかな…と躊躇いつつも足は止まらずに乗り場に向かっていて、そのうち係のおばさんがこちらに気付いたので、流れでそのまま乗り込んでしまった。料金の200円を受け取ると、おばさんは「冷え込んできたの」と言った。僕は「はあ」と言ってあんまり広くはない観覧車に乗り込むと、おばさんは「いってらっしゃい」と声を掛けてドアを閉めた。
観覧車はゆっくり登っていって、何が見えるのかというと別に何も見えない。というか、この観覧車の直下のゲームセンターと駐車場の電灯が一番明るくて、そこから外側は、住宅の明かりがポツポツポツと見え、その先にちょっと明かりが集まった町が見え、やがてそれは切れ、いつのまにか空に切り替わっている。特別なんでもないけれど、まあ田舎の夜景なんだろうと思った。
観覧車は一周して下に降りてくると、おばさんは立って待っていた。この前に観覧車に乗ったのはいつのことだったろうかと考えてもまるで思い出せないというか、僕はいままで観覧車というものに乗ったことはなかったのだろうか…と思い出しきれない記憶を探りながらホテルの部屋に戻った。


バナナケーキ

バナナケーキ
いろいろ残り物の材料を使ってバナナのケーキを作りました。——いえ、本当は「残り物」などではなくて、そのうち何かを作ろうと考慮して作り置きしていたタルト生地だったり、買い置きしていたアーモンドパウダーだったり、半分取っておいた生クリームだったり、熟慮と言う程ではないにしろ多少なりともの配慮があってこそ残されていた材料であるわけですが、いざ使用する段になるとそれらをただなんとなくの残り物と見なしてしまっている、知らず知らずそんなことが起きているのかもしれません。反省しております。


図書館で美術部の美術展をみた

図書館で地元の高校の美術部の美術展をやっていて、自分も美術部でこんなことをやったなあということを思って、足を止めて眺めていたのだけど、そこに展示されている作品は、自画像だったり友達か誰かを描いたような人物画だったり、そのほかよく目に付くのが静物画で、そういったものは自分もよく描いたものだと思った。個々の作品をちょっと見てみると、静物画で描かれているモチーフというのは、テーブルに布が敷かれていてその上にビンやりんごかなんかの果物が置かれていて、といったような感じのもので、そうしたものもまた自分もよく描いていた…、などと思うのだけど、ということは、どこまでも同じようなことをやっているわけで、それもこの美術展が偶然そうだったというわけではなくて、どこの美術部でも毎年ほとんど変わらず描かれているのかもしれない。
りんごなどの果物は、たぶん本物ではなくてプラスチックの模型なんだろうな、などと経験的に考えるのだけど、だとしたら、こんなに安っぽい偽物のモチーフが、それにもかかわらずこんなに繰り返し描かれているということは、すごいことだと思った(実は本物かどうか絵を見る限りでは判別できないわけで、もしかするとそれは本物のりんごを見て描いたのかもしれないのだけど)。
高校生が油絵を描き始めるときどうして静物画を描くのだろうと、ふと気に掛けもしたのだけど、それはたとえばセザンヌやモランディや岸田劉生などを観て感激してそれをすごく描きたくなったということでは、おそらくないだろうと思うし、そんな人がいたとしてもごく少数だろうし、高校生が何を描きたいと思っているのかはわからないけれど、それにしたって何を描いてもいいはずなのに決まって静物画とかを同じモチーフで描いてしまうのはどうしてだろう。
何か規範的なものや習慣的なものがあるからそういう作品を繰り返し描いてしまう、ということはもちろんあるのかもしれないけれど、そうではなくむしろ僕が強く思うのは、それは「油絵の具」という素材自体が持っている強制力みたいなものがどこかで強く働いているんじゃないのかなあ、ということだった。油絵の具という画材は実はすごく絵を描き難い画材で、しかもただ描き難いというのではなくて、絵の具をチューブから絞り出したときからもうそこにある種の磁場が発生していて、「何も描けない」「もうそれしか描けない」といった類の縛りに描き手は捕われてしまっているところがある。そうした力は描き手が思っている以上に強く働いているのではないかと思うし、その力が結実するところが、つまりああいった静物画なのかなあなどと思った次第でありました。