ブルーベリーのチーズケーキ

2009-06-29 Blueberry Cheesecake
ブルーベリーを入れたチーズケーキを焼く。タルト生地はこの前作った残りを寝かせておいたもので、ブルーベリーは冷凍のやつの残り。クリームチーズは買って来た。ホイップクリームを添えると、味も見た目にもちょっとしたものになるので良い。


マルセル・プルースト『失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラ II』

第8巻。「ソドムとゴモラ」の章の続き。
男色家のシャルリュス男爵は、モレルというヴァイオリニストのパトロンになり、彼を手中に収めようとするが、裏切られてしまう。なんとか手元に残しておくために、決闘まででっち上げるという大騒ぎを引き起こすのだが、この恋に狂った倒錯者の執念がなんとも凄まじく、痛々しく、また可笑しい。
一方、語り手とアルベルチーヌの関係はというと、同性愛の疑いや嫉妬という問題は一時は沈静化するかと思いきや(アルベルチーヌと完全に別れようとまでする)、彼女のとある一言で急旋回(なんてアクロバティック!)。第1巻で見た情景が、ここになって蘇ってくるのである。
この巻で語り手は、運転手付きの自動車を雇ってアルベルチーヌとお出かけしたりしているのだが、そこで自動車と列車の比較がされているのが面白かった。鉄道での旅は目的地が「神秘的」に感じられるので、語り手は好きなのだそうだが、自動車はそうでない。

自動車はたとえ病人であろうとも行きたいところに連れてゆくし、また行く先を——それまでの私が考えていたようにーー個性的でかけ替えのない不動の美の神髄と見なすのを妨げるからだ。そしてまた自動車は、かつて私がパリからバルベックへ行ったときに利用した鉄道とちがって、行く先を、ふだんの生活に起こる偶然事と切り離された一つの目標にしてはくれなかった。 (p339-340)
そんなわけで、唯一の目的地も自動車によって、急行列車の作り出す神秘的なものをはぎとられたように見えるが、逆に自動車は目的地をむきだしにし、コンパスで測ったようにその位置を確定し、いっそう入念な探検者の手つきと見事なまでの精密さでもって、私たちに本当の幾何学や美しい「土地測量」の仕事を実感させるように思われる。 (p341)

こうしたことには実はすごく共感してしまう。僕は仕事で、ナビ付きの車(会社の)であちこち移動することが多いのだけど、そのときの感覚をそのまま代弁しているかのようだ。
仕事でいろんなところに行くと言うと、ときたま「面白そうだね」と述べる人がいるけれども、僕の実感としてはちっともそんなことはない。それは仕事だから、というのもあるけれど、それが車の移動によるということにも少しは起因しているんじゃないかに思う。つくづく、列車で旅行をしたいなあと思う。


ロイヤルコペンハーゲン

2009-06-26
仕事の出張先の近くに大きなアウトレットモールがあったのでちょっと立ち寄ってきた。ロイヤルコペンハーゲンのお店で、特別セールといった感じで置いてあったグラスというかコップを手に取って眺めていたら、痩せ形で中年男性の店員が「これはとても安いですよ」と声を掛けて来たので、「じゃあ、下さい」と言って購入することになった。
一声掛けられただけで買うなんて、どんだけ気が弱いんだ、と店員は思ったかもしれないし、自分だってアウトレットモールに入るときは、場合によっては服などを買うことはあるかもしれないとは思ったけれど、まさかコップを買う羽目になるなんてちょっと予想もしなかったことだ。でも北欧の食器ってけっこういいよね。
お菓子を作るという趣味の一環として食器に凝るというのは自然なことではないだろうか、平凡だけど、と、そう考えれば、これを買うことになった成り行きも頷けない話ではないし、少しも間違った買い物ではなかったわけだし、だいたい、買った後で「返品します」なんて言えないじゃないか。


ホタルを観に行く

なんとなく思い立って、ホタルを観に行ってきた。
日が暮れて空は薄暗くなり、そこらの景色の輪郭も色も曖昧になっている。それは暗いからなのかどうなのか、よくわからなくなる。実は私の目の方が悪いのだろうか、一日中でもないけどパソコンの前で仕事をしていて目が疲れているからなのだろうか、などと思って眼鏡を拭いてしまうのだったが、暗くなるといっても街灯もほとんどないこの辺りでは、暗くなり方もちょっと違っていて、徐々に暗くなりながら、光と一緒に視神経の感覚ごと吸い取られているような気持ちになる。
時期的に早いのか気候が芳しくないのか、肝心のホタルの姿というか光はなかなか見えてこなかった。けれども2組くらいの家族連れが見に来ていたので(あとからもう少し来た)、見に来る人がいるのだから見れるんだろうと、楽観的になってしばらくふらふら歩いていると、そこにホタルがが一匹、淡く光りながら、目の高さくらいをふわふわと上下に振れながら、こちらに飛んで来て、ほとんど目の前すれすれのところを横切って、向こうの方に飛んで行った。もう少し歩いて行くと、今まではいなかった、じゃなくて、いたけど発光していなかったホタルが、いつのまにかそちらこちらで光りながら飛翔しており、その数としてはそんなに多いとは言えなくてもまあまあいる、といった感じであるのを、ぼうっとなって見ていた。
ホタルの光は静謐な濃淡を揺らしながら、ゆったりとした空間の移動を伴っており、そうした軌跡の繊細さは思いもよらないもので、こんなふうに光るものはホタルの他にありそうもないし、見たことがない。見たことがないものを見るというのは、ほとんど立ち尽くすしかないという驚きだと思う。ただ、何であろうと、ホタルにはホタルの事情があって光っているのだし、誰も観になど来ない山奥でも、ホタルは人知れず光っている。
ウィキペディアで見ると、ホタルの成虫が発光しているのは配偶行動の交信のためであるらしいのだが、光を放ちつつ飛翔するホタルは、たぶん交信する相手がいないからこそそれを求めてそうしているのだろう。成虫は口が退化しているため、水しか飲むことができないのだという。したがって幼虫時代に蓄えた栄養素のみで繁殖活動を行うことになる。何も口にすることもなく、ただ己の精魂が尽きるまで、ひたすら配偶者を求めるためだけに光を放つ。なんとなく物悲しい、というか悲愴である。


キウイのタルト

2009-06-22キウイのタルト
キウイのタルトを作る。タルトにアーモンド、カスタード、生、の、それぞれのクリームを順に重ねてキウイのスライスを並べるもので、作ってみたらとてもおいしく出来た。きっと梅雨のせいだけでもないだろうけれどじめじめと冴えないここ最近の日々の中で、これはもっとも喜ばしい爽快な出来事なのではないだろうか、と大げさに喜んでみたいところだ。
キウイの透明感のあるグリーンの色合いは、内部から発光しているんじゃないか、というくらいの輝かしさを持っていて、ちょっと見とれてしまうほどであった。キウイに包丁を入れた段階で、というのはタルト作りの最終段階だけど、そのキウイの輝かしさでもって、このタルトを作るのにこれ以上望むものは何もない、という気分になったというか、もうおいしくたって不味くたってどうでもいいや、という気持ちになった。
食べてみたらおいしかったわけで、それはそれで、もちろんうれしい。今回は何が良かったのかというと、いつもより少し甘く作ってみた、というところで、いつもだったらなんとなく、レシピより砂糖を少なめにしているのだが、この度は反対に多めにしたのだったが、それが功を奏して、キウイの酸味や苦みを受け止める土台としてちょうど良い感じになったのかなあと思う。お菓子なんかは「甘くなくておいしい」といった言い方というか褒め言葉もあるけど、甘い方がおいしいじゃん、と思った。


モンブランと山

2009-06-15モンブラン
モンブランを買ってきていただく。
山にも色々な山があって、色々な山のかたちがあるけれども、それと同じようにモンブランにも色々なかたちがあるのね。とはいえ、なんであれモンブランを味わう時には、山を観賞する時ほどには(そんな時も稀ですかね)、そのかたちは重要ではないのかもなあと思う。ケーキは見た目とかもけっこう大事だけど、モンブランの場合はまず味が一番であって、味が良ければそれこそ山のようにこんもりと盛ってさえくれれば良い、と、そんなふうに思う。個人的な思いですけれども。
最近自分で作らないで、けっこう買ってきたお菓子を食べているな。お店で買った方がおいしいから、と言ってしまえばお終いだけど。
自分が作ったものが見劣りしてしまうので、お店で買ってきたお菓子はここでは触れないようにしたいものなんですが、他に書くこともないので今回は苦肉の策として。


ルバーブ栽培:入梅のきょうこのごろ

2009-06-11 ルバーブ
梅雨入りしましたね。あまり見てないうちにルバーブも大きくなっていました。茎と茎の間から、一本ずつ新しい葉が伸びてきて、徐々に大きくなっていく感じ。新たに種を撒いた分も芽を出して順調に育っているようです。
一番大きい株のこれなんかは、ちょっと鉢が小さいかもしれません。窮屈になると悪いので、そのうち大きなものに植え替えしたいと思います。
(播種から67日目)


マルセル・プルースト『失われた時を求めて 7 第四篇 ソドムとゴモラ Ⅰ』

13巻あるうちの7巻目ということで、この長い長い物語もようやく半分を折り返した。
この巻では「ソドムとゴモラ」の世界が浮上してくる。「ソドムとゴモラ」というのは旧約聖書の『創世記』に出てくる罪深い町の名前で、その罪とは「同性愛」のこと。
あの奇怪な行動をとるシャルリュス男爵が、実はまさしく同性愛者で、仕立て屋のジュピアンとばったり出会いその場で関係を持ってしまうという、しかもその現場を語り手が目撃してしまうという、けっこうショッキングな場面が描かれる。このシャルリュスとジュピアンの同性愛が、昆虫と花の受粉に重ねられて描かれるのも、なんか非常にプルースト的な文章(というのも変だけど)。
さらに語り手は、アルベルチーヌと恋の駆け引きを経て、親密な仲になっていくも、そこには疑惑があるのであった。それが「ゴモラ」であって、すなわち彼女はレズビアンなのではないか、と。
二度目のバルベックに到着してすぐ、突然、祖母の記憶が蘇る場面がある。この話もなかなか涙を誘うんだよね。どんなに祖母が苦しんでいたか、それを語り手に見せまいとしていたか、それなのにどんなに語り手がわがままに意地悪く当たっていたか、こういうのはいわゆる「泣かせる話」みたいな挿話だけど、そうはいっても感動的だよなあ。