セミの抜け殻

28日に新潟県から群馬県前橋市に移動で、29日に家に帰る。前橋からの帰路は、関越道から北関東道に入って、これが東北道まで繋がっていれば良いのだけどまだ出来ていないので高速を降りて、国道50号を行き、佐野藤岡ICから東北道に乗って北の方へ。帰りが遅くなったもので疲れた。
今日は休みだったので、家で寝たり本を読んだりDVDを観たりして過ごした。外に出たときにセミの抜け殻を拾って、観察する。よくこんなに完全な形を留めたまま抜け出せるものだなあと思う。けっこう気味が悪い。ハエのような、目の大きい、マスクをしたような顔。まだ発達していない羽もハエのそれのようだし、お尻はふっくら丸く、縞模様があって先の尖っていてハチのよう。手というか前足は甲殻類の感じ。それぞれ他の生物の部分を寄せ集めた折衷みたいな感じで、どこにもセミらしいところがない。


また上越へ/花火

上越から一旦家に帰って福島、それからまた上越、というなんかばかばかしいような移動。福島では朝から強い日差しがジリジリさして倒れそうなくらいに暑かったのだが、昼近くになると天候が変わり、雨が降って雷まで鳴った。曇り空の下を移動する。福島西インターから東北道を上り、郡山ジャンクションから磐越道を行く。土砂降りの雨と落雷に遭う。新潟中央から北陸道へ。新潟は夕暮れ時で曇天。
柏崎で花火大会があるので混雑が予想されるといった道路情報を見て、もしや通り過ぎるときに花火が観れるのではと期待する。柏崎付近をちょうど7時頃に通過。けれどもどこにも花火は見えなかった。
ところが上越に着いた頃に、ドンッという重く響く音が鳴って花火が打ち上がったので驚いた。そんなわけないのに、一瞬、柏崎の花火がこんなところから見えたのかと思った。こちらはこちらで花火大会があったらしい。見ることが出来ないと思っていた花火を思いがけず見れたのでうれしい。
2009-07-26


新潟へ

最近はわりと仕事が忙しい感じで、出張で外に出ているのが多い。今日は新潟へ。順路で言うと、山形からはまず南陽に行って113号で小国の方に向かうのだが、途中、「道の駅いいで」で休憩をとり、ここの牛肉コロッケがおいしいと聞いていたのでこの前食べてみたのだけど、衣が固くてガリガリしていた。小国町を通り越してしばらく行くと県境があり、この辺りで平行して走っている米坂線は、山や谷を縫って行く路線で、乗ってみるとすごく気持ちいいのでないかと思う。山の緑や田んぼの緑の色の、水彩絵具の、チューブから出したまま、水で溶かないままのような、すごく濃度の高い色が夏を感じさせる。
新潟県に入って関川村、胎内と、この辺はのどかな田舎の集落といった村々を駆け抜け、新発田から非常に交通量の多い国道7号線に乗り、新潟市に突入。新潟西インターで高速道路に乗り、長岡ジャンクションを富山方面に、北陸道をまだまだ西に向かう。柏崎を過ぎると、ところどころで右手に日本海が見えるところがあって、ちらっとでも海が見えると、僕は「あ、海が見えた」と思って、なんて単純なんだろう、少し気分が晴れる。上越まで来た。長々と車を走らせて、山形から上越までの所用時間は、ちょっと急ぎ気味で4時間と少し。


シフォンケーキを買って食べた

シフォンケーキはおいしくって好きだけど、自分で作るのは、なかなかどうして躊躇してしまうものの一つだ。私がよく見ていて参考にもしたいお菓子系のブログがあって、私などの数十倍もの経験を積んだ熟練者が書いているのだけど、そこで頻繁に作られているのがシフォンケーキなのであって、ああでもないこうでもないとシフォンの研究に勤しんでおられる。日毎に「ああ、また失敗だわ……」と呟いている、そのシフォンのいったいどこが気に食わないというのか、私にはほとんど想像も及ばない領域であるのだが、たぶんその霞んで見えないような高みにはきっと理想的なシフォンがあって、その方はそれを見据えているに違いない。シフォンの肌理の一つひとつに神経を行き渡らせてやるんだ、という気概と集中力でもって、粉を振るい卵白を立てる。こう言ってよければ修道者のようである。そうした気構えもなしに、シフォンケーキにはおいそれと手を出せないのだ。
気構えもシフォンの型もないので、お店でいちごのシフォンケーキを買ってきました。薄いピンク色のシフォンケーキで、中にクリームがサンドしてある。クリームはシフォンのふんわりした食感にねっとりと絡む感じで、大きくほおばったケーキをもぐもぐと咀嚼するのが大層心地良いものでした。でも、シフォンは何も付けないで食べるのもけっこう好きです。
ケーキを買ったのは昨日のことであり、今日は皆既日食の日であったけれど、最初から空はどんよりと曇っていたし、特別に観察もせず内に籠っていたから、そのとき暗くなったのかよくわからなかったです。


ルバーブ栽培:暑い日が続く

2009-07-16ルバーブ
あんまり暑いと良くないのかしら。
種を撒いてから3ヶ月とちょっと経って、大きいものでは背丈がだいたい30cmくらいになりました。これはちゃんと育っているのか否か、まるでわかりませんが、とにかく暑さに負けて枯れないでほしいです…。
30cmに達しているのは一つだけだし、なんとなく全体的に小さいような気はする。がんばれ!
ルバーブは1年目は収穫せず成長を促して、2年目から収穫できるそうです。まあ、来年収穫できるといいけど、再来年でも、もっと時間がかかっても、収穫できるまで育ってくれるといいですね。
(種を撒いてから103日)


マルセル・プルースト『失われた時を求めて 9 第五篇 囚われの女Ⅰ』

失われた時を求めて〈9〉第五篇 囚われの女1 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社
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9巻目を読む。ちなみにこの巻以降はプルーストの死後に出版されたものらしい。
語り手は、アルベルチーヌと同棲生活に入る。その語り手の愛情というのもなかなか屈折している。アルベルチーヌが誰かと会っているんじゃないかとか、話の節々に嘘を織り交ぜているとか、いちいち疑惑の目を注ぎ、良からぬ想像をしては一人で嫉妬や苦悩を感じてしまうのだが、その並々ならぬ嫉妬や苦悩こそが語り手の愛情を駆動させてもいる、という。それで、彼女に監視を付け、行動を規制しようとするけれども、何の解決にもならない。それどころか、そうやって完全に拘束してしまった後に残るのは倦怠のみである。

……そのアルベルチーヌもひとたびわが家に囚われの身となると、その色彩をことごとく失うとともに、私以外の人たちの物となるいっさいの可能性を喪失した。こうして彼女は少しずつその美を失っていった。(p328)

どうやら、アルベルチーヌと語り手の関係には幸せな結末はありそうもない。彼女を捕らえておく、そのこと自体に、自分が捕らえられてるというような、なんとも息苦しい話である。
この巻の終わりの方では、いつのまにかスワンが死んでいて、それが事後的に述べられる。そこではスワンに語りかけているような箇所があるのだけど、それは「物語内の『語り手』」というよりは「物語を書いている作者」が述べているように読める。この『失われた時を求めて』という小説は、「『私』という語り手が記憶を追想している物語」というフレームをもっているのだが、その外部にいるはずの作者という存在が突然顔を出し、フレームを逸脱している。些細なところではあるけれど、この『私』の分裂が興味深いところではあった。(こういうのは前の巻にもあった気がする。)


暑い日が続きます

2009-07-16ルバーブ
あんまり暑いと良くないのかしら。
種を撒いてから3ヶ月とちょっと経って、大きいものでは背丈がだいたい30cmくらいになりました。これはちゃんと育っているのか否か、まるでわかりませんが、とにかく暑さに負けて枯れないでほしいです…。
30cmに達しているのは一つだけだし、なんとなく全体的に小さいような気はする。がんばれ!
ルバーブは1年目は収穫せず成長を促して、2年目から収穫できるそうです。まあ、来年収穫できるといいけど、再来年でも、もっと時間がかかっても、収穫できるまで育ってくれるといいですね。
(種を撒いてから103日)


海に

2009-07-11
海に行く。海開きはまだのようで、浜辺は人も疎ら。身体を抜けてゆく風が涼しくて気持ちよい。服を脱いで裸になると風がもっと敏感に感じられて気持ちがいいんだろうなあと思う。空は広範囲に雲で覆われており、海で泳ぐにはもう少し日が当たって暑くなってほしい、というくらいの気候。波打ち際に近づくと、ざざーっという溢れんばかりの水の音が耳を捉える。波音は絶え間なく続いている。サーフィンをしている人がちらほらいる。海沿いの道路を車で移動していると、ロードバイクに乗ってサイクリングしている人と何度もすれ違う。(新潟市角田浜にて)