2月末まで/金柑のタルト

この前まで暖かだったのが、また寒くなったりしている。いったん暖かさを感じてしまうと、今度はもう寒いのが通常ではないような気がしてくる。もう2月も終わり。
不動産屋さんに行って、借りる物件の契約をしてきた。いままでは実家にいましたが、この春から家を借りて一人暮らしを行なうことにしました。
物件は古くて小さい一戸建ての建物です。入居前にリフォームしてくれることになっていて、それをどのようにするのか、ある程度自分の意見も聞いてくれるとのこと。そこまで何でもかんでも自由にしていいというものでもないのだが、それでも僕としては普通のアパートを借りるよりは、すごく意にかなった大変良い物件を見つかったなあ、といったところです。
久しぶりにタルトを焼いたのがその契約書をもらってきた次の日で、何をつくろうか決めかねてスーパーに行くと金柑が安かったので、金柑のタルトにした。金柑に砂糖をまぶしてレンジでチンするとコンポートになるので、それをアーモンドクリームを敷き詰めたタルトに入れて焼き込んだ。ところでアーモンドクリームと書くとお菓子を作ったことのない人は何かクリームのようなものを想像してしまうのではないかと思わないでもないのだけど、あれはクリームというよりも生地みたいなもので、アーモンドの粉とバターと卵を混ぜて焼き上げるものです。まあどんなふうに思ってもらっても結構なのだけどさ。
このタルトはとても良い出来であった。難しい技ではないけれどもきれいに決めていって加点が付く感じ。スコアにするとなかなか高得点だと思う。
二月の末には仕事で秋田県能代市へ。特になし。というか、夜は部屋にこもって『ツインピークス』を見ていた。エピソード14まで。
金柑のタルト


寒さが緩む

今日は良い天気だったらしい。日中、ほぼ室内にいたので知らないけど。でも夕暮れ時に外にでたときの、ちょっと暖かいような寒さといったらいいのか、これまでの厳しい寒さとは明らかに別物の空気が感じられて、季節の変わり目がくっきりと見えるかのようだった。
この時期というのは世間では受験の時期でもあって、僕はけっこう受験に失敗してきたのであまり良い思い出でもないのだけど、この試験ぎりぎりになる頃、徐々に蓄積されてきた緊張感は張り裂けんばかりに高まっていて、それに対して、寒さの方はいつのまにか弛緩するようにおだやかになっている。この自分の緊張感と外界の気温のテンションのずれに、妙な気持ちの悪さを催したのを覚えている。
今日のこの空気に、なんかそんなことを思い出した。でも今は東京なんかはもっと暖かいのだろうな。

借りてきたDVDでデヴィッド・リンチの『ツインピークス』を観る。DVD1枚目、パイロット・エピソードとエピソード1まで。これは、ちょっとおもしろすぎる…!

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西洋音楽史

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)
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岡田暁生『西洋音楽史—「クラシック」の黄昏』(中公新書)を読んだ。ずっと前にバロックあたりまでを読んでそのまま途中で投げていたのだけど、しばらくぶりでウィーン古典派の章から読み出したらスラスラと読めて、「あれ、こんなに読みやすい本だったのか」と思った。あまり音楽を聴かない自分でも、少しは聴いたことがあるというものが古典派やロマン派のいわゆる「クラシック音楽」なのだなーと実感する。
「まえがき」より。

今日における音楽のありようのほとんどは一八世紀から二〇世紀初頭にかけてのクラシックの時代に形成された。今日なおこれらは、大半の人々にとって、何の説明も必要としない「自明」であり続けている。それに対して古楽は「クラシックよりも前(クラシックが形成されていった過程)」の、そして現代音楽は「クラシックよりも後(クラシックが崩壊していった過程)」の音楽、つまり歴史的音楽なのだ。「古楽と現代音楽は大なり小なり歴史的距離のある音楽だが、クラシックは私たちが今その中で生きている音楽環境の自明の一部である」——好むと好まざるとにかかわらず、私たちはこういう音楽制度の中に生きている(あるいは生きさせられている)

といっても最近はさっぱり音楽も聴いていないです。なにか演奏会にでも行きたいなーとは思うのですが…。


ガスケ『セザンヌ』

セザンヌ (岩波文庫)
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ガスケ
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プロヴァンスが生んだ画家セザンヌ。その晩年に親しくつき合った同郷の若き詩人。ガスケは自ら目にし耳にした老画家の姿を丹念に記録した。ゾラとの友情、ルーヴルでの熱狂、そして芸術論…。傷つきやすい天才の複雑な内面を、詩的な言葉で再現した伝記と対話篇。

以前、エクス・アン・プロヴァンスに行ったことを、少し思い出す。セザンヌ没後100周年の大規模な回顧展が、このセザンヌの故郷で開催されていたのだ。
パリのリヨン駅からTGVでマルセイユまで行き、そこからローカル線でエクスの街まで30分くらいで着いたのではないかと思う。車窓から、セザンヌの用いたような黄土色の大地と深い緑色の木々が点在する景色が見えてきて、それだけで心が躍る思いがした。エクスは古い趣のある町並みだった。ツーリストオフィスで、「ご覧の通りイベントの真っ最中だから、ベッドが空いているかわからないけど」と言って教えてくれたユースホステルは、中心市街地からずいぶん遠いところにあった。フロントで聞くと無事ベッドを確保できたので、それから荷物を置いてもう一度街中に出てみた。夕暮れ時で、通りにテーブルを広げて飲み食いをしていて、華やかな賑わいがあった。
翌日、旅行の最中は自然に早起きが出来るもので、わりと早い時間から街中に出て歩いていた。もらった地図にセザンヌゆかりの場所というのがいくつか書かれていて、そのうちの一つを目指していたのだった。一時間くらい歩き回って、目的地らしい目的地は発見できなかったけど、道々にある枝の曲がった松の木などが、なんとなくおもしろく見えたのを覚えている。
そろそろ美術館に行こうかと思ってチケットを買いに行くと、美術館はずいぶんな混雑らしく、入場は時間制になっていた。時間までだいぶ間があったので、先にセザンヌのアトリエに行ってみることに。晩年のセザンヌが使用したというアトリエには、よくモチーフとなったリンゴやガラス瓶、白い陶器、石膏のアムール像などが机や棚の上に並んでいる。ガイドの女性がいろいろと説明している中、小さなスケッチブックにモチーフを素描をしている人もいた。
実のところこのアトリエを見ても、自分で思っていたよりも感動はなかったような気がする。実際にセザンヌが使用した道具が置いてあるといっても、特別、ふーんという感じだった。生前に使っていたままのように乱雑にモチーフが並べてあるのも、生々しさというより、逆に作為的なものを感じられたのかもしれない。
そしてアトリエを後にして、その先にある丘を登ってみた。しばらく坂道を登っていって、そこで振り返って驚いた。目の前に、あの形の、あの山があったのだ。サント=ヴィクトワール山である。セザンヌはあの山を描いたんだということが、ここでは本当に強くわき上がってきて、同時に、それがにわかには信じ難いという思いがした。薄らと曇りがかったような天気で、稜線はすこしその輪郭を薄くしているような見え方をしていた。


『インビクタス—負けざる者たち』

クリント・イーストウッドの『インビクタス—負けざる者たち』を観に行った。もう本当に素晴らしくて、感動的な作品です。クリント・イーストウッド監督の作品だけが、いま僕の中に感動を生み出してくれるもので、もうこれだけが僕の心の支えになっている!とさえ思いました。
スプリングボクスの選手が黒人の子どもたちにラグビーを教えに行ったりするシーンが良かった。最初はそんなことをやるのは嫌で、上から押し付けられて不満たらたらという感じだったのが、実際行くと熱心に子どもたちとラグビーをするのだけれど、ここで、冒頭で道路を挟んで黒人と白人がくっきりと別れていた場面を思い起こさせる。
そこまで断絶があった両者が混じり合っていく、すごく心を打たれてしまう場面だった。それでワールドカップの頃になると、スプリングボクスの選手が街中をランニングしていると、黒人の子どもたちや街の人たちにとり囲まれて、みんな一緒になってランニングしている。それはもう誰の命令でもなく、ごく自然に一緒になっている。この関係の移り変わりがすごく感動的で印象深かったです。
あと、個人的にすごいと思ったのが、早朝の散歩のときや、ジェット機が競技場すれすれを飛んで行くところの、あわや襲撃か、という場面。すごくはらはらさせられた。これは絶対、もう一度観てもはらはらすると思う。こういうふうに緊張感の高められる瞬間が、映画のなかでスパイスのように効いていてとてもよかったと思いました。

「インビクタス/負けざる者たち」オリジナル・サウンドトラック
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チキンカレー/青森県弘前市

青森県弘前市へ。またまた青森である。今回は一人なので気楽だけどね。
駅前から散歩をスタート。パブリックアートというか石の彫刻のようなものが転々と置いてある遊歩道を、駅に向かう高校生とは逆行して歩いて行く。遊歩道が途切れて普通の通りをいく。美容室や洋服屋など、明かりは着いているけどもう閉まっているのか人も入っていない。年齢層的に若々しい感じのお店もあり、寂れた商店街という印象はそんなにない。
狭い道を入っていくと。ライトアップされた教会があった。弘前はこういう洋館がけっこうあるな。それから、弘前中央駅という小さな駅があり、その先はごちゃごちゃした感じの飲屋街になっていて、そこでちょっと寒くなってきたなあと思い始め、引き返す。
駅前にインドカレーの店があったのでそこに行くことにする。はじめに通り過ぎたときには気付かなかったのだけど、店先でビデオを流していた。最初何のビデオだかわからなかったのだが、どうやらこの店を撮った映像であるらしい。店の前を通行人が普通に歩いて通りすぎていったり、人が出てきたりしている。これはなんというか、変な感じだなーと思い、店の前に立ち止まってしばらくビデオを見てしまった。
そのうちビデオカメラは店の中に入っていき、誰もいない店内をぐるりと見渡す。それからインド人のシェフが出てきて、説明をしながらカレーを作り出す。ビデオを持った男と、シェフが対話をしながらカレー作りを進めて行く。「これはなんですか?」「スパイスです」みたいなやりとり。
一見して、食欲を喚起させたり楽しげな雰囲気を作り出したりすることもいまいちなく、それは意図的なものではないだろうけど、というか意図しているのとは逆なんだろうけど、まったくコマーシャル的なもの感じさせなくなっているような映像で、それがおもしろいなーと思った。
これはカレー作りのドキュメントにほかならない。でも、その強烈な香りもないし、何をつくっているのかわからないかもしれないなーと思う。鍋の中でカレーを作っているのか、泥を混ぜているのか、そこだけ見たとして判別は出来ないのではないだろうか。それにこの、どこに向かってカレーを作っているのかぜんぜんわからない感じ。
本来は、と話が抽象的に大きくなってしまうのだが、世の中のいろんなこと(カレーをつくったり、そのほかのあらゆること)のそのものは、非常にわかりにくいもので、それを名前をつけたり類型化したりしてわかりやすくしたり、経験や知識からあれこれと判断をつけているけれども、本当は簡単には見通すことができないものですよね。そういう、よくわからないものをよくわからないままに、見通しの悪いままに見せていく、そういうところをビデオは映していて、ああそうなんだよなーと思ってしまった。
そのインドカレーのお店に入り、チキンカレーとタンドリーチキンと黄色いライスと飲み物のセット(1380円)を微妙に高いと思ったけど頼んだ。食べたあと店を出ると、さっきよりも寒くなっていて、底冷えがする夜。


昼休み

出勤日。お昼休みに書店へいく。
会社での昼休みは特に何もすることがなく、というかしたいことは人目が気になって出来ないので、外に出る。したいことといっても何のことはない、ただ読書というだけなのだけど。去年などは公園まで行ってプルーストなどを少しずつ読み進めていたりしました。だけど冬は寒いのと雪とによって外へ出ることへの億劫感があり、しかしながらだからといって会社の中にいるとだんだんと言いようのない閉塞感が充溢していき、なんとも陰鬱な気分になってゆく。何も考えずに仕事をしている方がまし、という状況。休まる暇もありません。
ガルシア=マルケスの小説などを買おうかと思って手に取ってみるけど、レジに持って行くまでには至らない。ぜんぶ文庫化してほしいところです。雑誌売場でいろいろ物色し、『ロードバイクのメンテ&修理』と『カーサ ブルータス』の2月号(住宅特集)を買う。


ダウンロードエリアの休日

休日。朝、いつもの時間に目覚ましが鳴って目覚めるのだけど、体が重く起き上がれない。晴れ。昨日、一昨日に積もった雪が輝いていて、だけど暖かいのですぐ溶けそう。本を返そうと思って図書館に行ってみたら休み。
マクドナルドでコーヒーだけ注文してパソコンを開いて作業をしていると、ニンテンドーDSを持った子どもが次々と寄ってくる。何かと思っていると、僕のいる席がDSのためのダウンロードエリアになっていて、そこでしか繋がらないのだろうか、それでやってくるのだった。子どもも来るし、大人もDSを持ってやってくる。避けて別の席に移ろうと思ったけど、他も一杯で動けない。
うちに帰って、夜、仕事をする。