風と雨と微熱の中で

仕事の帰り、山形蔵王インタ–で高速を降りて、この前自転車で通った馬見ケ崎川沿いの桜並木の道を通った。歩道を行くのとは違い、車で行くと両側の桜が覆いかぶさるように視界を埋め尽くす。運転中なので花もよくよく見てはいられないのだけど、だからかえって、桜のトンネルをさーっとくぐり抜けるという、体感というほどでもないけどそういった感じで、なかなか壮快だった。桜の花の中にはもう葉っぱの新芽がちらちらと見えているようで、この新芽の瑞々しい黄緑色と桜の花びらの薄いピンクの色の取り合わせが、それもこのくらいの割合が僕は本当にきれいだと思う。
会社の同僚が万が一休みが取れたときのことを考えて荒吐のチケットを取っていたのだけど、案の定仕事は休めず、しかもそのチケットの処置にどうするか困っていたので、代わりにオークションに出品してあげたのだった。これが開催日も明日明日に迫っているので、速達でいつまで発送すれば届くとかわざわざ郵便局に聞きに行ったりして、手間もかかるし神経も使うし、それに売れたって僕の取り分も微々たるものだし、まったく人助けなんてやるもんじゃないなぁと思った。
オークション終了後、落札者からの連絡を受け取ってすぐ郵便局へと走る車中、ラジオからはその荒吐についてなにやら話をしていて、雨が降ってもそれを損だと思ってはダメでそういう状況それ自体を楽しむべきなんだ、というようなことを言っていたのだけど、そのラジオを聴いていたらそのとき初めて、こういう野外フェスも楽しそうだよなーと唐突に思う。行ったことないけど。いいよなー。外で風が吹いていてさ、その風に乗って音楽が震えながら旋回し、人々の体を揺らして、それがまた波をつくっている。そんな風景を思い浮かべつつ、チケットを郵便の窓口に託す。
しかし世間がお休みのときにこそ、あくせく働かなくっちゃいけない会社、どう考えたってゴールデンウィークなんて仕事なのがわかっているだろうに。もっと特別な用事でもないと休めないのですよ。僕のように、結婚式にお呼ばれするとか。
読書は、相変わらずガルシア=マルケス。『族長の秋 他6篇』の、「他6編」の方まで読む。
『きょうの料理 ビギナーズ』(6月号)を買う。前の号をちゃんと読みこなす前に、早くも一ヶ月が過ぎ去って新しい号が出てしまう。


春の光/いちごのロールケーキ

寒くなったり暖かくなったりの不安定な気候で体調を崩しやすいというようなことを耳にするけれども、僕は気候の変化というのは案外平気で、ほとんど体調に影響しない気がしている。個人的には、風邪を引いたり体を壊したりするっていうのは、たいてい夜更かしして睡眠不足のときで、その点、最近の睡眠は充分に足りている。寝過ぎともいう。
晴天。春の光は柔らかい。夏の光線のようにギラギラしていないし、気持ちがいいなあと思う。洗濯をする。自転車に乗って出かける。馬見ケ崎まで行く。桜の並木が見頃。製菓用品店でケーキを焼くのに敷くオーブンシートを買う。
霞城公園も桜の花見をする人が、あふれるというほどでもないけど、行き交う。スーパーでお昼用にうどんと、お菓子作り用に生クリームを買う。昨日何をつくろうか決めかねたままにとりあえず買っておいたイチゴが、今は100円引きで売られている。
さて、そのイチゴで、ロールケーキをつくることにした。新しいオーブンの初陣、蓋をあけてみたらなんともすばらしい焼き上がり! 「焼けた焼けた!」と喜びながら、冷ましたスポンジを巻いて切ってみると……、なんかボソボソした感じ。玉砕。オーブンの初陣は華やかに飾りたかったけど、それも叶わず。
と、そんなこんなでオーブンの実力的には大変よろしいようだけれども、ただ僕の腕のほうがいまいちでした、という、なんとも複雑な思いにさせられた本日は僕の誕生日だったのであり、反省もあらたに、いつまでも初心者ぶったお菓子作りを改め、もう少し洗練というものを醸成させられるよう努めたい所存です。いや、お菓子に限らず。
2010-04-26


雨の日で寒い。寒さで体がこわばって、何をするにしても行動がのろのろとしてしまう。今日一日、こなせると思っ家事や仕事の半分くらいしかやらずに日が暮れてしまった。寒さでこんなに動きが鈍くなるのなんて、だったらそんな日は全く動かないようにして、体が活発になる暖かい日に家事や掃除やその他の作業をてきぱきとこなすようにした方が、これはもう絶対に効率がいいよなーと思う。晴耕雨読とはよくいったもので、そういうふうやっていきたい。
早速オーブンを始動させてお菓子を焼こうと思ったけど、実家から持ってきた小麦粉が薄力粉ではなくて強力粉だったもので、買い出しから始めなくてはならず、買い出しといっても500m先のスーパーに走ってくれば10分後にはお菓子作りを再開できるはずだったのだ。だけど、いかんせん憂鬱な雨降り。意気消沈しているので、これはダメだと思ってそのままお菓子作りは延期となり、オーブンはただ、説明書通りに空焼きをして脱臭させ、夕飯に実家から持たせられた竹の子ご飯をチンするだけに留まった。
そのオーブンをどこに置こうかと悩んでいるのだけど、とりあえず置くにしても、工作中の木材や用具や、引っ越しで運んだものの行き場の定まらない荷物、じゃがいもやタマネギなどの食料、脱いだ服、といった、今現在は散乱というのがしっくりくる状態で床中を占めているそれらをどかしてから置かなくてはならなかった。ものが増えてきた。でもアレがないコレがないと、まだ常に不足感を覚えながら生活しているのだが、どうしてこんなにものが必要なんだろうね。入居したばかりの、新しくしたばかりの、何もない空間の清々しさといったものは失われつつある。
この家は入居前にリフォームしてもらったので、そのぶん余計にきれいで清々しく感じられたわけで、それはもちろん良いのだけど、きれいなだけにこれは迂闊に汚せないな…という心理も余計に働いてしまうのが面倒で嫌だ。一階に敷いてもらった無垢のフローリングなどは、使ってみて思うのは、これって実はけっこう扱いに気を使うんじゃないの、という代物であって、料理をしているときにうっかり醤油や油をボタボタこぼしてしまったら最後、すぐさま染みになって取れなくなってしまうんじゃないかと思う。まるでガラスの上で生活するように、といったら大げさだけど、それなりに神経を使いそうな感じである。
そんなふうに新しく敷いたばかりなので床の汚れも気にしてしまうのだが、どのみち家なんか古びて行くのを免れないんだろうなとも思う。大切に使った床も日が経つにつれ日焼けをして退色し、輝きを失い、溝には砂と汚れが入り込んで取れなくなり、消えないシミが浮かび上がって、朽ち果てていく。なんとなく『百年の孤独』のブエンディア家の屋敷と重ね合わせてしまう。そうした侵食から屋敷を守ろうと心血を注いだウルスラの働きは本当にすばらしく、とてもよかった。


桜が咲いた

ベッドに寝転んで本を読んでいると、5メートルくらい離れている冷蔵庫からボコボコというような水が沸騰するような音がかすかに耳に届く。冷蔵庫は何を決め手に選んだのかといえば、なるべく音が静かそうなものということで、しかしながらこの冷蔵庫も動き出しているときはそれなりに音を発していて、残念。これでも静かな方なのかな。気にしなければいいのだけれど、冷蔵庫が鳴っているのに気付くと、逆に妙に意識してしまってその音を聞いてしまう。たぶん動作に応じて3種類くらいの異なった音を出している。といっても家の前の通りはけっこう車通りがあるので、その音の方がはるかに大きくわずらわしいのだけれども。
その家の前の通りからは、家の中というかキッチンのところが丸見えで、朝食を作ったりしていると通勤の車や犬の散歩をしている人からじろじろと見られ、自意識過剰というのでなくても気になってしまうので、一応そこに仕切りをすることにして、余ったフローリング材を立てかけていた。でもこのフローリング材はそのままだとちょっと長くて、ちょっと切りたかったのだ。数センチ切るとピッタリとはまるようになる。
それをどこで切るのかというと、ホームセンターである。そこに大型の電動カッターが置いてあるのだ。売りものでなくて木材カット用に置いてあるのだ。本当は店で買った木材しか切ってはいけないと思うのだけど、何か言われたらお願いしてみることにして、行ってきた。ベニヤ板と角材を購入し、それと一緒に、持ってきたフローリング材もカットした。特に何も言われなかった。
そうして仕切りは見栄えよく収まった。当初、このキッチンも、見えるなら見えるであまり隠さないでも良いのではないだろうか、だいたい生活のすべて何が何でも見られたくないというような心性はいかがなものか、というふうに思っていたのだったが、実際のところ、見られるというのはそれ相当のストレスでもあると思った。住居というのは生活する場所なのだが、同時に生活しているということを隠している場所なのだ。
買ってきた木材でも工作を始めた。こちらは洗濯機を隠すための壁を作ろうと思って。いや、別にからくり屋敷にするわけじゃありません。夕方、薄暗くなってきたころにほっぽり出した。続きはまた今度。
同じ日の午前中、同じ運送会社なので冷蔵庫を2階まで運んでくれた人かと思っていたら違う人が届けてくれたのが、念願のオーブンレンジであった。早速梱包をほどく。すごい、ピカピカ(新品なので当たり前)! さて、何を焼こうかな。今年はシフォンケーキに挑戦したいと思っていますけど、まだ型とかも揃えていないし、とりあえずタルトかチーズケーキでも焼こうっと。
雪が降ったのは数日前で、それからまた暖かくなって桜の開花宣言があったのは2日前くらいだったのかな。『百年の孤独』のような小説を読んでいると、この時期に雪が降ったなんてことも別に異常でもなんでもないように思えてくる。そんなに超常現象や信じ難い出来事ばかり書かれているわけではないが、しかしこの小説を読んでいると受ける、どうにも常軌を逸した感じ。ちょっと季節がずれたくらいの雪なんかほとんどまともな範疇に感じられる。残りわずかのところで止まっていたこの本も、これから読みはじめ、そして読み終えてしまうだろう。


仕事と移動

ネットでオーブンレンジを注文した。お菓子を焼くのに適したのはどれかといろいろ調べて、オーブン機能の優れたものを選びました。石窯の構造になっているやつ。石の蓄熱効果がオーブン内を高温に保つので、焼き上がりが素晴らしいんだって。到着が楽しみ! ちょっと高かったけど、これは自分への誕生日プレゼントなので!(しかしそうなると、iPadはどのように言い訳をして買えばよいのだろうか?) 
「リストラなう」日記というブログを読んでいた。その日記を書いている方とは立場から年齢から年収からまるで違うので、身につまされるというよりも、へぇという感じでおもしろく読んだのだけど、読み進めるうちに、自分自身もリストラされるかもしれないという不安ではないのだけれど、漠然とした、私はこの先どうすればいいのか的な、眼前にどす黒い暗雲が立ち込めるような気持ちに陥って、目が回る思いがしてしまった。こういうことを考え出すとなかなか気分も晴れなくなってしまうもので、なので、そのブログを書いている人が勇気づけられたというふうに紹介していた『仕事するのにオフィスはいらない』という新書をつい本屋で買ってしまった(同じ著者の『電子書籍の衝撃』という電子書籍がキャンペーンで110円だったのでこれもダウンロードしてしまった)。
iPhoneやクラウドなどを駆使すればどこでも仕事できるのだから、狭苦しいオフィスにいることなく自由に能動的にやっていくのが良いということで、その具体的なやり方などが書かれていて参考になったりならなかったりするのだが、こうやってインタ—ネットに繋ぐのにわざわざマクドナルドまでやってきているというのは軽度にノマド的なやり方を実践しているわけで、それをもうちょっと押しすすめるのにはiPadが不可欠だし、たぶんiPadを手に入れるのに言い訳はいらない、とか思った。
本書に書かれているような意味合いでのノマドワーキングではないけれど、ある部分ではノマドそのものの移動ばっかりの仕事をしている。でもいまは一年で一番ヒマな時期なのでその移動もあまりなく、会社に通う日々が続いている。それはそれで沈鬱な気分。間もなく移動も再開されれば、少しは気も晴れる。マクドナルドの席でコーヒーを飲みながら、仕事での移動に、仕事そのものの移動に、ぼんやりと思いをはせる。

仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)
佐々木 俊尚
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優良ドライブ

カレーを作ろうと思ったら、カレーを作ることの出来る鍋がストウブしかなくて、カレーを作るとご飯が炊けなくなり、ご飯を炊くとカレーが作れなくなる。どちらを先に作るとうまくやりくりできるのか、に迷う。
ストウブがもうひとつあるのが理想だけど、それか作ったものを後から手間なく温めるということが出来ればそれはそれで解決策の一つにもなるわけで、今回に限らずともレンジがないのはけっこう不便なのかなーと感じられる。なにかこう、エコな、自然な暮らしといった趣の、極力電力に頼らないいわば原始的な暮らしを目指しているわけではないし、利便性、快適性を追求していきたいわけであるから、レンジは早めに調達しようとの思いを強くした。
だけど、利便性といった観点だけではそもそもこの住居を借りてはいないだろうと思うのであって、そこにはたぶんもうひとつの尺度があるはずなのだが、そのあたりをまだ活かせていないあたり、口惜しく思うべきなのだろうか。
日曜日、朝6時から町内の一斉清掃があってこういうのは最初が肝心だと思って前日にほうきとちりとりと軍手を購入した上でちゃんと参加した。たまたま今日は休みだったのでよかったけれど、この先、様々な町内の集いなどがあった際、その度に参加できなくなってしまうかもしれず、良好な近所付き合いが保てるのか、という心配というほど心配はしていないけど、できるだけ迷惑にならないようにしたいです。
清掃が終わった後、お風呂を炊いてゆっくり入り、朝食をつくってのんびり食べ、洗濯と風呂場の掃除をやってもまだ9時前なのだから、6時に起きていれば、この朝の時間にそうとうなことが出来てしまうのではないかとびっくりした。ただひとつ、浮世を忘れて眠り込むという無上の楽しみを除いては。
月曜日。雨が降っていて寒い。無印良品で買い物。鍋のふたとクッキングスケールを買う。百円ショップで買い物。ハサミと、茶こしを買う。流しにつけるごみ取りにしようと思って買ったのだけど、これが思いのほか排水口にピッタリ!
家からほど近いところにある、温泉の公衆浴場がどんなもんかと思って行ってみる。まあまあ良さそう。
火曜日。運転免許の更新に行く。優良ドライバーに。
『百年の孤独』を3分の2くらいまで。


最近の孤独

朝の寒さもだいぶやわらいできたように感じる。でもそっちのほうが春眠暁を覚えず、という感じで余計に寝床から起き上がれなくなってしまった。早起きできれば弁当なんかは朝から作りたいのだけど、いまのところは夕食で余分に作ってタッパーに詰めて持っていくという流れでやっている。いまは新しい住居の不慣れさでもってなんとなく早く目が覚めてしまうという状態だと思うのだけど、まだ早く起きられるうちに習慣化して起きるくせを付けておきたい。でないとこの生活に慣れてくるにつれ出社時間ぎりぎりまで寝ている技術を体得してしまうんじゃなかろうか。
起きて天気が良かったので自転車で通勤してみたのは、小学生の入学式の日らしく、ちょっと若々しい感じの親に手を引かれて子どもが登校しているのにすれ違った朝だった。季節だなあと思う。職場まではあっという間に着く。通り抜けていく空気が冷たく、冷えてしまった体が暖まる前に到着して、それも運動不足でいきなりペダルを漕いだために呼吸が苦しくなり、その息苦しさがしばらくが続く。寒さと酸欠状態でひとり遭難したかの面持ちで仕事。しかしながら、ロードバイクでは職場までは近すぎるようであり、距離としてはママチャリくらいのほうがちょうど良いのではないかと思う。朝ちょうど良いと思える距離を走ろうと思うのなら、自転車を変えるか、道順をわざと遠回りに変えるか、あるいは職場を変えるか。
家に帰り、鍋できのこの炊き込みご飯を炊き、キャベツのみそ汁を、これはまんが道でよく作っていたものだったっけ、作り、夕食にして、それからガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読む。すごく面白い小説で引き込まれる。マコンドという村を創設すること、ジプシーが未知の道具を持ち込むこと、錬金術を試みることや子どもが出来て家族が増えること。不眠症にかかり記憶を失ったり、土を食べる癖があったり、美しい少女に恋をしたり。そこでは奇跡に属する事柄、常識的な日常に属する事柄、日常からはみ出す事柄などが等価に、並列的に並べられていく。どこを読んでも面白くて、これは寝食を忘れてしまうなーと思う。


衣食住

家の掃除をする。クエン酸で洗濯機の洗浄を行なう。洗濯機は洗ったけど、洗濯までは出来なかった。
洗濯機は実家の物置に置いてあったのを持ってきた。どうして実家に洗濯機なんか都合良く余っていたのかなーと不思議だったのだが、もしかすると、これは僕が以前使っていたものだったかもしれない。その洗濯機は実家に戻る際にリサイクル店に売ってきたと思い込んでいたのだが、それは思い違いだったのだろうか。実物を見てもそれが自分が使っていたものだとはまったく思えなかったのだけど、今日スイッチを入れて動かしてみると、ふと、この機械でそういうことをやっていたかもしれない、と、その感触の記憶がおぼろげに蘇ってきた。ような気がした。
仙台にいる姉夫婦がけっこう前にだけど家を購入していて、前々から遊びに来いと言われていたので、ようやく先日、母と一緒に行ってきた。中古住宅でけっこうボロいと聞いていたので、まあそれなりのものを想像していたのだが、行ってみると意外にもというか、きれいだった。自分たちで改装していったのだという。その過程の写真を見せてもらったのだけど、これがすごく素晴らしくて、ほとんど感動に近いものを覚えたほどだった。
衣食住は人が生活する上での基本になるとか、そういうことは本当にそうで、人間にとって住処というか住居というのはやっぱり大事なものなんだと思った。大事なものを自分たちの手で丁寧に組み立てていっているというのは、仕上がりがどうこうより、それだけで素晴らしいのではないかと思いました。
僕は住む場所に関してはそんなに、どうでもいいというか、いまいち何も考えていなかったのだけど、引っ越しを機に、住むこと生活すること、そういったことを少し考えるようになっている。
製品のレビューなどによく書かれている通り、ストウブは少し固めに炊きあがるようなので、水を多めに配合するとおいしいご飯が炊きあがるようで、3回ほどご飯を炊いたら感じがわかった。ご飯のお焦げなんか食べたのはいつ以来だろうか。コンロにセンサーがついていて、ご飯が炊きあがるころに、センサーが反応して勝手に火が消えてしまうのが、困りものというわけではないけれど、ちょっと待ってよと思う。
これを書いている場所はマクドナルドであるけれど、家からわりかし近いところにあるそこは、もうひとつの部屋みたいな感じ。インターネットにつなぐ部屋として。
しかし何がほしいって、iPadはほしいよなーと思う。これがあれば部屋はさらに増えるだろう。ほしいというか、たぶん買ってしまうんじゃないかと今から気持ちは傾いているのだけれど、これって、まだ実家に寄生しているような金銭感覚なのかもしれない。一人暮らしをして間もないので、支出がどのくらいでといったことが、見当はたてられるけど身をもって実感できない。