29日は

仕事納めであった。仕事の方は相変わらずというか、本当にうちの会社は忙しいのか暇なのかさっぱりわからない。いやわからないということもなく、いろいろとかみあっていないところが多いのでそのようなちぐはぐな印象を受けるのだが、何にせよこういう書き方はあまりに傍観者的な物言いなのかもしれないな。でも仕事のことはいいのだ。ここでは。そういえば今年は、取引先からもらったカレンダーを欲しい人がもらっていく、というのがなくて、というかカレンダー自体がなかったような気がしたのだけれどもこれも不況の煽りなのだろうかと憂慮したわけではない。
仕事のことはいいとして、個人的に今年を振り返ってみると、家を借りて住み始めたのが大きな出来事といえば出来事であった。冬は寒く、夏は暑いというけっして快適とはいえない家だけど、そこでの暮らしはけっこう気に入っている。
この物件に決めた一番の理由は、ギャラリーのようにすっきりした土間があるのを気に入ったことにあって、当初はそれこそギャラリーの真似事なんかもできるかもなーと思っていた。でも今は自転車置き場にしているだけで、いやそれこそが有効な使われ方ではあるのだけど、借りる前になんとなく思い描いたような、外に開かれた形にはなっていない。
一つには、住み始めてからは、住むだけで精一杯というんじゃないけど、そこに暮らすというだけで別にいいよなーと思えてきたからだ。変わったところに住むとか、変わった生活をするというのが面白いのでなく、ただ暮らすということが面白い。ただ暮らすということの内実を一つひとつ吟味していくように暮らしていくだけで既に充分だと思われるし、あとは本を読んでいればほとんど過不足を感じることはない。そのうえ自転車に乗ったりお菓子を作ったりすれば、もう時間はぜんぜん足りないくらいなのだ。
けれども、暮らすだけで充分だとはいえ昨今ではその暮らしが圧迫されるのを感じるのも事実で、要因は仕事であったり不況であったりするのかしないのか。閉塞して淀む空気には憂慮したい。
もう少し風通しをよくすることがあってもいいなと思う。住居でありながら何かしらオープンな場として設定するといったようなことは、またちょっと考えてみたいように思う。来年は、もう少し個人としての活動を始めてみたい。


年末が近づいている、

という感じは依然としてあまりなくて、でも昨日今日と休日に買い物などしていると、店の中の混雑や慌しさに、そういえば年の瀬はこういう感じだったと思い起こすことがないでもない。よく、お金のないので年をを越せないとか餅を買えないなどともいうから。お金がないことと年の瀬は結び付きやすい、というか気が付くと本当に財布にお金が残っていない。
こまごまとした買い物をしていて、まとめて家計簿に付けるためにレシートを財布に溜めていたのだったが、2、3週間は平気で溜めてしまうため、もともと少ないお札はいつしかレシートに埋没してしまう…。
そんな折、ノートに家計簿を付けていたのをiPadの家計簿アプリに切り替えてみると、これがすごく使い勝手が良くて、すぐ入力していくのでレシートもそんなに溜めないで捨てるようになった。いくら使ったのかがわかりやすく可視化されもするし、便利だなあといったものであった。
さっきスーパーで買い物をしてきたばかりだ。それを入力してみよう。473円。どうでもいいけど、僕は今年はもうお金を使わないで過ごすつもりだ。30日には実家に戻るので、実質あと3日間、473円の食材(と買い置き)でやりくりしようと思う。
今年は雪がいい感じに降らないでいてくれたけど、とうとう降りはじめてしまった。雪かきをしていたら、隣の隣のおばちゃんにチョコレートをもらった。


最後の出張/富山県富山市

今年最後の出張は22、23日に富山に行ったことだった。と、手帳を見て確認をしたのではなくて、カレンダーで日付と曜日を見て確かめた。手帳を見ないのは手帳を付ける習慣がないからで、だけど、来年はいっぱしに手帳を付けてみようかと思い、ほぼ日手帳のWEEKSという薄くて細長い手帳を購入したのは11月の終わりの頃で、12月から書き出すことができるものだったのでそうしようと思って買ったのだけど、いまだに一文字も書き込んでいない。
図書館で本を返すついでに借りようとして、小説ではない本を読もうという気分だったのでBRUTUSに出ていた『これからの「正義」の話をしよう』を検索してみたら予約が18件あって、ガルシア=マルケスを借りたときみたいに3回連続で2ヶ月間借りっぱなし、みたいな借り方はできないのだなーと思った。結局は保坂和志の『小説の自由』を借りた。
だから富山では『小説の自由』を読んでいて、寝る直前には群像の電子書籍版というのを読もうとiPadに持ちかえたのだが、紙と違ってiPadは自分で発光するので、発光する上にけっこう輝度を落とせるので、部屋の電気を落として、もう本当に寝る状態で読むのにけっこういいのではないかと思った。ただ僕は高い頻度で本を読みかけのまま寝てしまうので、寝ながらiPadを踏みつぶしてしまうと事態はありそうではある。
関係ないけどツイッターなどを見たり使ったりしていると、昔、東海林さだおが「ドーダ学」というのを提唱していたのを思い出す。ドーダ学とは、人のすべての発言は「ドーダ! オレはスゴイんだゾ!」というのが根底にあるという考えで(たしか)、たとえ謙虚な発言であったとしても「オレってこんなに謙虚なんだかんね!」といった「ドーダ」が隠されているとか、そんな話だった。そういったわけで、諸々の発言に透けて見える自分や他人の自己愛にうんざりさせられている、ということはないけれども、ツイッターに限らず発言することってなかなか…。


牛ヒレのステーキ/コウシロウのケーキ

20101224
閉店間際のスーパーで、見切り品のステーキ肉が残っていて、元の値段と割引後の値段の落差に目がくらんで思わずカゴに入れてしまったのだ。普段ならいくら値引きされていようと牛肉を買うことはほとんどないのだけど、それを買ったのは、やっぱりクリスマスだからなのかもしれないな。ささやかなご馳走にしようと思った。
ヒレ肉のステーキを焼いた。付け合わせに、にんじんのグラッセとじゃがいも炒め。
すごくおいしかったです。
クリスマスなので、おいしいケーキも。
おいしいケーキを食べたい、と考えたときに、自分で作るなんて選択はとれるはずもないわけで、会社帰りに買いに行く。予約なんかしていなかったのだけれど、この日、普通にケーキなんか買えるのだろうか…などと思ってケーキ屋のコウシロウに行くと、慌ただしく予約分のクリスマスケーキを準備している様子。ケースの中はがらんとしていた。でも二種類だけ、普通のケーキが並べられていたので、それを買った。
「オペラ」というケーキはチョコレートとコーヒーのケーキだと思うのだけど、これはけっこうブランデーのシロップがよく染み込んでいて、でもおいしかった。もう一つは、プラリネのクリームのケーキで、ナッツの食感もおいしかったし、見た目にクリスマスっぽいのも気分を支えてくれる。
たいへんささやかだけど、おいしいものを食べることができてよかったなあと、切々と感じる夜でした。
20101224


グラノーラ・ボード

2010-12-20
グラノーラを作りました。これは切り分ける前の、板です。グラノーラ・ボードといったものでしょうかね。
板のままでは食べにくいので、グラノーラ・バーとかスティックとか、そういった形状に切り分けると、口に入れやすいです。
今回入れたもの。アーモンドスライス、くるみ、ココナッツ、オートミール、レーズン、シナモン、はちみつ、きび砂糖。
2010-12-20


ガルシア=マルケス『生きて、語り伝える』

生きて、語り伝える
生きて、語り伝える
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ガブリエル・ガルシア=マルケス
新潮社
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ガブリエル・ガルシア=マルケスの自伝『生きて、語り伝える』を読みました。
今年一年を通して読み進めてきたガルシア=マルケスだったけれど、これで一応は新潮社から出ている全小説集を読み終えた。解説によると自伝の続編が執筆されているということで、いつ日本語で読めるのかわからないけど楽しみに待ちたい。続く第二巻では『百年の孤独』が執筆されるまでがつづられるという(ということは、第三巻へと続くこともあるんだろうか)。一冊だけでもけっこうな分量があるのに、ずいぶん長い自伝であるよ。でもまあ、それがガルシア=マルケスなのであって、自伝の冒頭には「人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、何を記憶しているか、どのように記憶して語るかである」という言葉が象徴的に置かれてもいる。
小説というのは読んでいる行為の中にしかない、みたいなことをたしか保坂和志が書いていたのだけど、ガルシア=マルケスの作品は本当にそういうものだなーと思う。各作品ごと、これはこういう話で…と、簡単に書き残しておこうとしたところ、それが何の話だったのかとっくに忘れてしまっている自分の空っぽさに気付いて途方に暮れる。ただ記憶力がないだけだろと言われてしまえば、まったくその通りで、身も蓋もないところであるけれども。
ただ、このまま忘却にまかせるのもなんなので、代わりに小説の書き出しの部分を写しておこうかと思います…!
(これは読書の感触を思い出させるというよりは、もう一度読み返したいと思わされるものになりました。書き出しの数行だけで、もう本当に素晴らしいなーと思う。)


ガルシア=マルケス小説作品の書き出し

落葉
生まれてはじめて、ぼくは死んだ人を見ました。きょうは水曜日なのに、まるで日曜日のような気がします。学校に行かなかったのと、何となく窮屈なこのグリーンの服を着せられているせいです。…
落葉 他12篇

悪い時
アンヘル神父はやっとの思いでおもむろに起き上がった。手の甲で瞼をこすり、レースの蚊帳を開くと、むき出しのマットレスに腰かけたまましばらく物思いにふけっていたが、それは自分が生きていることを確認するのに、そして、その日が何月何日で、どの聖人の日に当っているのかを思い出すのにどうしても必要な時間であったのだ。…
悪い時 他9篇

百年の孤独
長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。マコンドも当時は、先史時代のけものの卵のようにすべすべした、白くて大きな石がごろごろしている瀬を、澄んだ水が勢いよく落ちていく川のほとりに、葦と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。…
百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))

族長の秋
週末にハゲタカどもが大統領府のバルコニーに押しかけて、窓という窓の金網をくちばしで食いやぶり、内部によどんでいた空気を翼でひっ掻きまわしたおかげである。全都の市民は月曜日の朝、図体のばかでかい死びとと朽ちた栄華の腐れた臭いを運ぶ、生暖かい穏やかな風によって、何百年にもわたる惰眠から目が覚めた。…
族長の秋 他6篇

予告された殺人の記録
自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。彼は、やわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間の幸せを味わったものの、目が覚めたときは、身体中に鳥の糞を浴びた気がした。…
予告された殺人の記録・十二の遍歴の物語 (Obras de Garc〓a M〓rquez (1976-1992))

コレラの時代の愛
ビター・アーモンドを思わせる匂いがすると、ああ、この恋も報われなかったのだなとつい思ってしまうが、こればかりはどうしようもなかった。薄暗い家の中に踏み込んだとたんに、フベナル・ウルビーノ博士はその匂いを感じ取った。治療をするために大急ぎで駆けつけたのだが、実を言うと緊急に治療が必要と思われる患者に長年出くわしたことがなかった。…
コレラの時代の愛 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1985))

迷宮の将軍
古くから仕えている召使のホセ・パラシオスは、薬湯を張った浴槽に将軍が素っ裸のまま目を大きく見開いてぷかぷか浮かんでいるのを見て、てっきり溺れ死んだにちがいないと思い込んだ。それが将軍の瞑想法のひとつだということは分かっていても、恍惚とした表情を浮かべて浴槽に浮かんでいる姿を見ると、とてもこの世の人間とは思えなかった。…
迷宮の将軍

愛その他の悪霊について
額に白い斑点のある灰色の犬が市場の迷路の中に飛びこんできたのは、十二月最初の日曜日のことだった。犬は揚げ物屋の台をひっくりかえし、インディオの露店や宝くじ屋のテントをなぎ倒して、ついでに、その通り道を横切った四人の通行人に咬みついた。そのうち三人は黒人奴隷だった。もうひとりはシエルバ・マリア・デ・トードス・ロス・アンへレスといい、カサルドゥエロ侯爵のひとり娘で、ムラータの女中に伴われて十二歳のお誕生会のために鈴の飾りを買いにきたところだった。…
愛その他の悪霊について

わが悲しき娼婦たちの思い出
満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた。…
わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))


タルトタタン風りんごケーキ/秋田県秋田市

○○風というとき、それは○○そのものではなく○○の簡易版であったり代用するものであったり、どちらかといえば本格版○○そのものよりも価値の低いものであるというニュアンスが含まれているんじゃないかと思うのだけど、その日に焼いたタルトタタン風りんごケーキは、決して本家に劣るものではなく一個のお菓子として肩を並べることができるものである、というのが、その出来上がりを見て確信したことであればよかったのだけど作っている最中に考えたことだ。食べてみて思ったのは、○○そのものでも○○風でも、美味しくできたそれとそうでないそれがあるのだろうといったことで、出来そこないのタルトタタンよりはおいしいに違いないタルトタタン風ケーキができたのであった。そもそも僕は本格版タルトタタンというものを食べたことがない。
そのケーキを焼いた翌日は、退職なさる会社の方の送別会があり、僕はりんごケーキを持参したということはなくただ隅の方の席に加えさせていただいた。お辞めになるのは残念だ。
その次の日は秋田に出張で、秋田は雪だよというので早めに出発することになったのだが、まったく気持ちのいい晴天だった。秋田に着いても、暗くはなっていたけど天候が悪いということはなく、コンビニで適当に買ったものをホテルの部屋で食べた。眠くなって寝て、夜中に目を覚ましたときだった。吹雪で豪風の唸り声がごうごうとなり、それだけでなく雷鳴が激しく轟く、この世の終わりのように荒れに荒れた天候に様変わりしていた。ガルシア=マルケス『生きて、語り伝える』を読み終えた。