3月11日/3月30日

地震があったのは仕事で新潟に向かう日で、夕方6時着をめどに午後3時出発の予定でいたわけだから、ちょうど出発前の時間だった。いつもなら15分前には車に荷物を積んだり準備をしているのだが、そのときはまだパソコンのモニターの前にいて、急いで仕事を片付けていた。
揺れは長く続いた。僕は目の前のモニターが倒れないように手で押さえながら、自分の家のガラスが割れていたり自転車が倒れたりしていなだろうか、などとそんなことを思っていた。地震が発生してすぐ停電になった。誰かが携帯で調べて、震源は宮城県沖だとか震度はいくつだとか言っていた。
停電は続いていた。でも会社員の心性として、非常事態でも仕事は休めないというようなバイアスがかかっていた、のかどうかはわからないけど、とりあえず明日の仕事に向けて新潟に出発しなければならなかった。それで荷物を会社の車に詰め込んで、会社を出た。
まずは同行する会社の人たちと各自の家が無事か一軒一軒見て回ることになった。ちょっとしたものが倒れたり、といった程度で特に損壊のあった人はいなかった。僕の家も大丈夫だったし自転車も倒れていない。
その間、余震も何度か起きた。時刻は夕刻になり、あたりは薄暗く、寒く、大粒の雪が降り始めた。
ただ移動するにもどこもかしこも渋滞になっていてなかなか進まなかった。停電で市内の信号機が止まっていたからだ。途中立ち寄ったコンビニではレジの前に長い列が出来ていて、買い占めというよりレジが使えなくて対応に時間がかかっていたからだろうと思うけど、ちょっと緊迫した雰囲気があった。さらに困ったことに車の燃料がほとんど空で、だけどガソリンスタンドも停電で給油できなくなっていて、これはいったん会社に戻りましょう、ということになった。
宮城県方面に出発した人たちは、山形道が通行止めになったということで一足先に戻っていた。けれども日本海側には行けるだろう、という非情な命令が下され、僕たちのグループはやはり新潟を目指すことに。会社の車は使えないので、燃料のある上司の車で行くことになった。
けっきょく山形を出たのは6時くらいになっていただろうか。ラジオでは地震や津波の惨状を伝えていて、同僚とは、こんなときに仕事になんか行くべきじゃないんじゃないだろうかとか、そんなことを言い合った。
小国かどこかから電気が付いていて、この辺は停電していないんだなと思ったのだが、その代わりに雪が激しくなってきて、その勢いは新潟に近づくほど増していく。胎内から新潟へ直行する高速道路では、真冬でもこんな吹雪はないんじゃないかというくらいの猛吹雪で、ほんの数十メートル先までしか視界は届かない、そんな状態でまったく生きた心地がしなかった。
新潟市内のホテルに着いたのは10時くらいだった。家族や友人と連絡をとったあとは、くたくたに疲れてすぐに眠り込んでしまった。
次の日の明け方、新潟だったか長野だったかを震源とする大きな地震が起き、仕事は中止になってそのまま山形にとんぼ返りになった。
そういうわけで東日本大震災の日は地震直後に新潟まで来ていたのだが、これが妥当な行動なのかというのはなんとも言えない。ただ山形にいても寒く暗いところでじっとしている他なかったわけだから、結果的には電気のある新潟で暖かくして眠れたのは望外に恵まれた境遇だったかもしれない。

どこに行ったかだけ書く出張日記は書いていたけど、仕事の内容をここに書くのは今までなかったと思う。最後なので少し書いてみたい。
僕は写真屋に勤めている。方々に出張に行っていたのは撮影の仕事のためで、東北や北陸地方の各地を回っていた。
最後なので、というのもこの3月末で辞めることになっているからだ。このタイミングで辞めるのは、地震の影響で辞める(あるいは仕事を失う)みたいにとられてしまうかもしれないけど、辞めるのは地震の前から決まっていた。自分の意思によるものです。
写真屋といっても報道関係とはまったく別分野なので、大震災が起こったからといって取材に駆り出されるというものではない。というよりも地震の影響は深刻で、なかなか困った状況になっている…というのはともかく、予定では、上に書いたように地震の次の日に新潟で仕事があって、次の週も3月最後の週も撮影の仕事が入っていたのだが、この震災ですべてキャンセルになった。だから、僕がこのまえ撮影を行ったのは、震災の一週間前、岩手県釜石市でのことだ。それが最後の仕事になった。
釜石は三陸海岸の町で、今回の震災で甚大な被害を受けたところの一つだ。
一週間前に僕は釜石に入って、町中にあるホテルから釜石港まで散歩をしに行ったり、夜中のシャッターの降りた商店街を歩いてパチパチと写真を撮ったり(これは趣味で)していた。夕食はその商店街の洋食屋でカキフライを食べた。それはこの日記にも書いたことで、そこでは「また機会があったら来てみたい」というようなことを書いたけど、そのときにはもう辞めることになっていたので、来ることはなかなかないだろうなと思っていた。そのときは地震が来るなんて、津波が来るなんてこれっぽっちも思っていなかった。
あの洋食屋のあたりは、海から1キロくらいのところだったろうか。あのシェフは無事に避難しているだろうか。釜石の町並みは今どうなっているのだろう。
釜石だけではない。宮古や石巻や塩釜や、被害にあった多くの地名はどこも仕事で馴染みのあるものだった。
この会社に勤めて4年になる。その間、毎週毎週、東日本のどこかに行っていた。長く滞在したり地元の人たちと深く付き合ったわけでもないから、その関係といっても高が知れているけれど、それでもよく足を運んだり目にしてきた土地がこの震災で大きな被害を受けていて、そうした地名の一つひとつを報道で目にするたびに、言いようのない息苦しさを覚える。
各地に出向いて何を撮っていたのかというと、子どもたちだった。
正直に言ってしまえば僕は、この仕事をいつまでも続けようとはもともと思っていなかったふしがある。給料も安いし、何か他にいい仕事はないかなあと、自分に大した能力もないくせにそんなことは一丁前に思ったりしていた。ほとほと嫌気がさして腐ることもないと言えば嘘になる。
でもこれはたしかだと思うのだけど(ナイーブな話ではあるけれど)、それでも僕がやってこれたのは各地の子どもたちにずいぶん助けられてきたからだ。
ほとんどはその場限りの、本当に一瞬だけの関係なのだ。名前なんかも知らないし顔だって覚えていない。向こうもそうだ。こっちのことなんか気にもかけていない。でも各地で会った子どもたちの、子どもらしい無邪気な挙動や、笑顔や、眼差しといったものに、いったいどれだけ救われてきたことか。
それだけはいくら感謝してもしきれないと思う。彼らが今も元気でいることを心から祈っている。


冷凍パイシートでブルーベリー・パイ

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スーパーに行っても商品棚には物が少ない状態。少ないというか、ある物はあるけどない物はさっぱりない。冷凍食品のコーナーはすっからかんだったのだけど、端っこの方に何か残っているなあと見てみると、冷凍のパイシートとブルーベリーでした。
たしかに非常時に買うものでもないかもしれないですね。微妙に高いですし、僕も半額のときにしか買ったことがありません。
まあ非常時の備えに適している、いないは別にしても、この冷凍パイシートというのはなかなか便利なやつで、手軽においしいパイが焼ける(あまりに手軽だから、趣味のお菓子作りでは使わないことにしている)。
だけど、物がないこんな状況だ。誰も買わないなら僕が買おうじゃないか。みんなは他のものを買うといいよ!
というわけで、冷凍パイシートとブルーベリーを買ってきてパイを焼きました。ブルーベリーだけのシンプルなやつです。
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もう一つ、こちらはマロンクリームにクリームチーズを合わせたものを詰めたパイも焼いた。両方とも、おいしくご飯代わりにいただきました。
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でも、こうやってみるとパイシートはいろんなふうに使えると思った。お菓子だけではなく、ミートソースを包めばミートパイだし、カレーもいいし、キッシュみたいにお惣菜を入れてもきっとおいしい。
そのまま焼いただけでもジャムなんかを付けて食べればいいし、なんだかんだいって、冷凍パイシートもこれで立派に災害用の備えになるような気がしてくる。オーブンが使えないと焼けないのが弱点ではあるけれど。
なにより、シートを成形するのがけっこう楽しいのだ。
切れ込みで模様を描いて、出来れば卵黄を水で溶いたものを表面に塗りたい。オーブンで焼成すると、いい香りが立ち上ってくる。きれいな焼き色がつけば、それだけで、何かささやかな励みをもらえる気がする。
もし子どもがいる家庭なら、お子さんと一緒にパイを焼いたりしても、ちょっとした気晴らしにはなるかもしれない。


3月13日/ルバーブの発芽

2011-03-13
地震被害が深刻です。報道を見ていると胸が痛みます。
僕は大丈夫です。いまは実家に身を寄せて家族とともにいます。
停電も昨夜に復旧し、とりあえずは普通の生活ができる状態。
今朝、気付いたことがあります。
実家の庭に植えているルバーブです。
雪が溶けて、芽を出していました。真っ赤な、きれいな芽。
大雪にも耐えて健気に芽を出すルバーブに、何も「希望」というようなきれい事を代弁させたいわけではありません。でもルバーブの発芽は僕にとってうれしいことです。僕にとって明るいニュースです。それだけです。
地震の報道だけ見ていても気が滅入るだけなので、ブログで報告します。みなさんも、みなさんの明るいニュースを見つけてください。


3月13日/ルバーブの発芽

2011-03-13
地震被害が深刻です。報道を見ていると胸が痛みます。
僕は大丈夫です。いまは実家に身を寄せて家族とともにいます。
停電も昨夜に復旧し、とりあえずは普通の生活ができる状態。
今朝、気付いたことがあります。
実家の庭に植えているルバーブです。
雪が溶けて、芽を出していました。真っ赤な、きれいな芽。
大雪にも耐えて健気に芽を出すルバーブに、何も「希望」というようなきれい事を代弁させたいわけではありません。でもルバーブの発芽は僕にとってうれしいことです。僕にとって明るいニュースです。それだけです。
地震の報道だけ見ていても気が滅入るだけなので、ブログで報告します。みなさんも、みなさんの明るいニュースを見つけてください。


出張日記/岩手県釜石市(あるいはおいしいカキフライの食べ方)

土曜日。昨晩からはらはらと降っていた雪が3cmくらいの厚みで辺りを白く覆っている。季節が少しさかのぼったみたいな感じがする。だけど雪はすぐにぐちゃぐちゃに踏みにじられ、溶けて消えてしまうだろう。
その前の、雪の白さにまだ張りのある早い時間帯に、仙台に向かって出発した。仙台まではけっこう早く着いてしまう。だいたい1時間くらいで着くのだけど、いつも余裕を持って1時間半かかると見積もるので、その度に早く着いてしまって、もう少し遅くても良かったなと悔やむ、そんなことの繰り返し。
夕暮れの少し前に、今度は仙台から岩手県の釜石へ。東北道を花巻まで北上して、右に折れ、高速道路は釜石まで通っていないので一般道を延々と走る。
途中、遠野を通り過ぎる。薄暗くもなってきて、さすが民話の里といわれるだけあって不気味な寂寥感があるなあと、まあそれほど大げさに感じたわけでもないけど、どこにでもありそうな荒涼とした田舎道にしても、どこか違うように見える。というか、ただこの道を初めて通るというだけなのかもしれない。とすると、釜石に来るのも初めてなんだっけか。行ったことのある場所、ない場所、なんだかもうよくわからない。
釜石に着くとやっぱり記憶がなくて、たぶん来たことがないのだと思う。少し外を歩いてみることにした。商店街を釜石港の方まで行ってみる。商店街が途切れるとだんだん外灯もなくなってきて、いつの間にかものすごく暗い路地に入り込んでいて、こんなところで暴漢とか人さらいに襲われたら…と思うと恐ろしくなってきて、いそいそと明かりのあるところまで戻った。
どこで夕食をとろうか、ホテルの方に戻りながら考えていると、「洋食のあべ」という看板に遭遇した。店は建物の2階にあって、よくわからないけどたぶん昔ながらのこじんまりした洋食屋で、そういえばなんとなくこの町全体が「昔ながらの」というような雰囲気を持っている気がする。それはよくある「寂れている」というのとは微妙に違う気がするのだけど。
階段を上ってドアを開けると、シェフのおじいさんが客席に座ってテレビを見ていた。ドアの音でもこちらに気づかなくて、「あの…」と声を掛けると驚いたように振り返った。それからシェフはそれまで自分が座っていた席(テレビがよく見える)に僕を座らせてくれ、ストーブを寄せてくれ、(洋食屋だけど)湯のみにほうじ茶をいれてくれた。
僕はカキフライとエビフライとカキのグラタンの盛り合わせを注文した。
カキフライといえば、村上春樹の『雑文集』に牡蠣フライの話が出ている。「就職試験で自分自身を説明するにはどうしたらいいのか?」というような質問に、「たとえば牡蠣フライについて書いてみてはどうか」とこの作家は言う。そして、作家自身が牡蠣フライについて書くことを(それによって自分自身を語ることを)試みている。こういうのを読むと、この作家はけっこう誠実な人だなあという印象を受ける。
しばらくすると、かりっと揚げられたカキフライが3個とエビフライが1本、固いカキの殻に詰められたグラタンが、一つの皿に乗せられて運ばれてきた。フライの香ばしい匂いとクリームのなめらかな匂いが混じり合う。フライによく合うタルタルソースが添えられ、付け合わせに野菜サラダのドレッシングがけが盛られている。
豪華なプレートではないけれど、たしかで質実な料理だ。「なんだ、テレビがいいところなのに客なんか来やがって」とは思わないで、きちんと料理してくれたのだ。僕はそれを喜びたいと思う。もちろんカキフライはおいしかったです。地元三陸の海で獲れたカキだもの(たぶん)。
食べ終わって支払いをしようと席を立つと、かたわらにドミグラスソースのたっぷり入った鍋が置いてあった。なんでこんなところに置いてあるのかわからないけど、これも見栄をはらない質実なソースのあり方を示していた。でも「今日のメニュー」にドミグラスソースを使ったものはあったろうか。あるいは明日のメニューに現れるのかもしれない。そうだ、ちゃんと前日から仕込んでいるのだから、客が来るまでテレビを見ていたってぜんぜん問題ないじゃないか。
またいずれ、もし釜石に来ることがあったら、この洋食屋に来てみようかと思う。