仙台

帰りに仙台に寄った。ノースフェイスのキャスター付きのでかいバッグを買いたいと思い、直営店に行ってみたのだけど、実物を見たらでかすぎた。
バッグを前にして悩んでいる間にも、店内には入れ替わりたくさんのお客さんがやってきた。僕もいろいろとほしいものはあったけれど、こんな高級なアウトドアウェアを着て何をするんだろうと思ってしまう。結局何も買わなかったけど、でも、こういうのは取り戻しつつある日常、というやつなんだろう。
山形のユニクロでズボンと靴下とパンツを買った。(ユニクロで買うのは躊躇しない、っていうのは単に経済的なあれか)


釜石大観音/大船渡/陸前高田

遠野から釜石方面に行って、海沿いに大船渡方面に向かった。
その前に釜石大観音というのを拝んで来た。町中から、遠くの高いところに白い像が建っているのが見えて気になっていたのだが、そこに行けば釜石の町並みが一望できるのではないかと思ったのだ。拝観料を支払って観音様の足下まで上っていくと、眺望のひらけたところからは釜石港が見えるだけで、町の様子は展望できなかった。観音様の内部をずっと上まで上がれるようになっている。今は3階までということだった。
見物しているのは、作業服を着た、どこかから支援に来たらしい人が二人いただけで、あとはさっぱりいなかった。
大船渡に行く。三陸道を走っていると通り過ぎてしまった。
市内を回る。
夕方頃になって、帰ることにした。
帰りに陸前高田を通った時、ぞっとした。釜石や大船渡を見てきて、津波被害はこういうものだというのを、なんとなく自分で思っていたところがあったかもしれない。ちょっとここは別物だと思った。
一関に向かって、4号線に乗って宮城県に入った。午後9時くらいに三本木の道の駅に着いた。


釜石/遠野

夜中に激しく降っていた雨は、朝にはあがった。雲と空がくっきり色分けされるような空模様だった。日が照ると暑さを、陰ると寒さを感じる。
目的もあって釜石に来ていたのだけど、迷っていた。また町中を歩きながら、どうしようか考えていた。
避難所となっている学校をいくつか回った。
夜は、遠野まで戻って踊鹿温泉の天の湯というところに行った。看板もよくわからないし、営業しているのに辺りにほとんど電気がなくて真っ暗。
遠野の道の駅で寝た。風がものすごく強い。風にあおられて車が揺れる。


釜石に行く

岩手の釜石市に行ってみることにした。
ふらっと思い立った時に行けるのはこの身分の特権なので、と言えるのも平時であれば、である。普通に考えて震災後はふらふらと被災地に行くのは自粛すべきだ、というわけであったのだが、今ならもう良いのかどうなのかは、本当はわからない。用もないなら行くなということには違いないだろうけど、用はあるので、ともかく行ってみることにした。今の状況を見ておこうと思った。
山形から秋田の横手を通って岩手に入るルートで行った。横手から北上までは秋田道を通り、北上から釜石に一般道で向かう。自衛隊の車や、なんとか支援という旗を掲げたトラックも行き交っていて、沿岸方面に向かう車の量はいつもよりも多い。
午後3時くらいに釜石に着いた。
駅の東側の橋を渡って市内の商店街を歩いた。3月5日に通った道を、同じように海の方まで。
商店街の一番端の建物からもう損傷が大きい。建物はほぼ半壊から全壊だった。中の様子も酷い。ようやく中身をかき出したところもあれば、全く手付かずの家もあった。土砂や瓦礫や家の中にあった生活用品などが歩道にうずたかく積み上げられていた。
前に歩いたときは、商店街の終わりがあってそこから先は真っ暗で、というような境があったのだが、今はもう一続きの瓦礫を追っていくうちに港に入った。海に停留していたと思っていた巨大な船舶は、港に完全に乗り上げていた。船底が堤防に噛み付くように突き刺さっていた。
あの洋食屋はどうなっていたのか。どの辺にあったのか曖昧だったのだが、ずっと道筋を辿ってその場所に来た時、ここだとわかった。看板はないが二階に上る入り口があって、それでわかった。一見したところ外観はきれいで、ああ大丈夫そうだなと、ふと思ってしまったのだが、すぐ隣の状況が目に入ってそれが一瞬で覆される。この区域に大丈夫だったところはない。
高台に上る道があった。上ると平和の像のようなものが建っていた。親子がいて、子どもは町の方に向かって「逃げろ」と叫ぶ真似をする、そういう戯れ方をしていた。


誕生日

家族で中華料理を食べに行った。くるくる回るテーブルから料理を皿に取って食べるやつだ。店のホームページを見てみるとメニューが載っていた。コピペしよう。デザートは杏仁豆腐だった。

前菜3品・車えびマヨ・豚肉角煮・ニンニクの芽炒め・海鮮鉄板豆腐・小龍包・チャーハン・酸味辛味スープ・デザート

今日は僕の誕生日だった。
でも、この料理は、本当は昨日食べるのがいいと思っていたし今も少し思う。
昨日の25日は、母の誕生日だ。
母の誕生日は、だからといって特別な食卓になるわけでもなくて、ご馳走になったりケーキを食べたりするのはいつも僕の誕生日である26日になっていた。母の誕生祝いもなんとなく薄らと兼ねているといった格好である。まあ母としてそれが不満だったということもなかったのではないかと思うし、僕も申し訳ないという気持ちを持つほど殊勝な子どもでもなかった。ただの誕生日の食事というだけのことではあるだろう。
4月の後半になり、向こうから足音もなく誕生日が近づいてくるのに、ふと気付いたりした。今では二十代も本当に終盤に差し掛かっている。もちろん年齢を一つ増やすことが、嬉しいなんてことはもうない。なんていうのかな、わずらわしいというのに近い。めんどくさいな、って。社会的に果たさないといけない責任というか圧力のようなものを、年齢を意識するときにどこかで感じるようになっているからだ。なんといっても今は無職でもあるし。
ただ今年は、「ああ、また誕生日だな」と気付くのに合わせて、誕生日の前の日、特に何もない母の誕生日のことを、ふっと思い出した。だから、母に「25日にご飯でも食べに行こうか」と連絡してみたのだった。
まあ結局は、なんのことはない、「どちらかといえば26日の方が良い」ということだった。そんなわけで、食事会は僕の誕生日である今日になったんだってさ。僕が一番おいしかったのは車えびマヨかな。


神町〈いちご姫〉で作るいちごジャム

いちごジャム
山形県産のいちごでジャムを作りました。山形のどこかというと神町ですね。
鍋を火にかけたら煮汁がけっこう出てきた。シロップだけ別に取り分ければ良かったのかなあ。あまりグツグツやってたら鍋から吹きこぼれてしまって、コンロが悲惨な状態になったです…。後始末に苦労しました。大きい琺瑯鍋でもほしいなあと思いました。


災害がほんとうに襲った時

朝7時から自転車に乗る。今日は坂道を通るルートを、まあその場その場の交差点で適当に決めるのだけど、選んだ。そんなに長くはないにせよまあまあ厳しい坂道をぜいぜい登って、登り切ったところで力尽きた。下りは車輪が転がるままに流していき、そのあとはなんかもう気力も沸き起こらなくて、帰路はそのままゆっくり流すように走った。20kmくらいを一時間くらいかけて回った。
洗濯をした。今朝は洗濯物もよく乾きそうな良い天気ではあるものの、布団のカバーやシーツも洗って大量にあったので、冬の間利用していたコインランドリーの乾燥機に頼ることにした。あのドラム式の乾燥機は本当にふわふわに乾くから、なかなか離れられないものがあるな。
乾燥させている間に農産物の直売所に行く。山形県産のいちごが並んでいる。特に安いわけでもないけれども2パックほど買って、これはジャムにしようっと。コインランドリーに戻ると乾燥はとっくに終わっていて、それからスーパーに寄って牛乳を買って帰る。
物不足があったからかどうかは知らない。でも最近は食べ物の賞味期限を前ほど気にしなくなっているようで、確認はしてないけど期限は切れているだろう食パンが残っているので、フレンチトーストを作って朝食兼昼食に食べた。12時頃のことであった。
ポストにAmazonで注文していた中井久夫『災害がほんとうに襲った時』が届いていたので、午後はそれを読んだ。
この本は1995年に阪神淡路大震災を経験した精神科医が、震災発生から50日間を記録した『1995年1月・神戸』という本を再編集して刊行されたもの。今回の東日本大震災に寄せた文章も加えられている。
この中の「災害がほんとうに襲った時」という文章は、東日本大震災が起こった時に、先の震災のドキュメントが役に立つのではないかということで、早い段階からネット上で無償公開されていた。それもその時読んでいたのだけど、改めて目を通してみてもこれは学ぶところの多い本だと思う。
あまり自分の読んだ本を人に薦めたりはしない方だけど、この本は、ボランティアだろうが救援活動だろうが何らかの形で震災に関わろうとする人に広く読まれるべきだという気がする。何かしら参考になる部分があるんじゃないかと思う。

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録
中井 久夫
みすず書房
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