やまがた藝術学舎

2011-05-31
「やまがた藝術学舎」というところで福興会議のドキュメント展示をやっているというので観に行ってきました。
その中で「3.11 After Report」もパネル展示されています。
やまがた藝術学舎は、旧山形県知事公舎を改修して設立された施設で、この5月にオープンした。
ここには僕は初めて来たのだけど、開放感のある広い窓口からはよく手入れされた庭園が望むことができて、とても気持ちのいい空間になっている。
僕が住んでいる清住町公舎の次くらいに、気持ちいいんじゃないかと思う。
やまがた藝術学舎
http://www.tuad.ac.jp/y-gakusha/


仕事日記/富山県富山市

土曜日と日曜日は富山で撮影の仕事だった。土曜日が仕事といっても金曜日から現地に移動しないといけないわけで実質3日間働いているような気がするのだが、給料としては2日分である。できれば近場でお願いします、と控えめに言ったことがあったのだけど、聞き入れてくれないのか、それともこれでも配慮してくれているのか、でも近場だけで仕事があるわけではないという事情もわかるのでしょうがないとも思うし、それどころか仕事をもらえるだけ感謝しないといけないというのが僕の立場なのだ。
金曜日にはやはりおにぎりを握って出発したのだが、お昼にはラーメン屋に立ち寄ることになったのでラーメンを食べて、持っていったおにぎりは夜にインスタントのみそ汁と一緒に食べた。
連泊だったりすると、その日の仕事はその日のうちに整理して、あとは提出するだけという状態に仕上げたいのだけどそれは理想というもので、けっきょく部屋に帰ってくるとなんにもやる気が起きなくて、ベッドに寝転がって本などを読んでいてそのまま眠ってしまうことになる。夜中に目が覚めて、付けっぱなしにしていた電気とテレビを消してまた眠り込んだ。
泊まったホテルでは簡単な朝食が付いていて、こういうのはなかなかうれしい。おにぎりやパンやスープなんかを自分でとって食べる形式で、日曜日の朝そこで食べていたら、外国人の年配の婦人2人組がやってきて、何に手間取っているのかやたらともたもたしていて、ホテルマンを呼びつけてなんだのかんだの言っていて、ホテルの人は英語がいまいちでうまく対応できないといった感じで、外国人はその質の低さにうんざり、といったていで、それを見ているこちらもうんざりした。
ちゃんとしたサービスを受けたければ、こんな僕たちが泊まるような安ホテルに泊まらないでちゃんとしたところに泊まればいいのに。観光なのかどうか、この時期に日本に来るなんてところからして、ちょっと変わっているのかもしれないなどと思って横目で見ていた。
日曜日も屋内にいたのでよくわからなかったけれど、一日雨が降っていたようだった。山形まで帰るときも道中ずっと降り続いていた。富山ー山形間は6時間かかる。6時間というと一日の4分の1なのだが、そう書いてみて「え、そんなに時間とられちゃうの?」とあらためて驚くと同時に、時間は一日の何分の1というふうに割り切れるものでもないな、とも思う。長いか短いかでいうとやっぱり短くはないけれど。それだけ車に乗っていたら、降りるときには軽い嘔吐感をもよおすくらいには、酔わされる。


岩手県宮古市

■しばらくの間、宮古に行っていた。いつもの仕事のやつではない。
■宮古は釜石に比べると、やっぱり一段階分くらい遠いなあという印象を持つ。仕事でも宮古はそんなに来たことがあったわけではない。覚えているのは冬の一月のことだった。宮古だから海のものを食べてみようかと思って、べつに海鮮系のお店でもない食堂みたいなところで刺身の定食かなにかを食べたら、ホテルに戻る頃に微妙にお腹をこわしてなにか釈然としない思いがした。
宮古というか大変だったと思い出すのはそのときの移動だ。宮古のあとに神奈川へ直行するという行程が仕組まれていて、ナビで見ると目的地までが何百キロだったか、あきれるとしか言いようのない距離が弾き出されていた。
冬の時期だから、沿岸部から盛岡に出るまでが雪道で、そこを運転した人は「ずいぶん滑ってヒヤヒヤした」とかそんなことを言っていたのだが、そのときも僕は後部座席で寝ていたのでそのばかばかしい焦燥感も恐怖感も共有しなかった。だけど盛岡から夜中の東北道を延々と南下していくときにはハンドルも握ったし、会話もなく息詰まる車内の空気は覚えている。
■そんなことはどうでもいいんだけど、習慣は人間を形成するというか、何年間かに渡ってこういう移動を繰り返してきたことで、土地から土地へ移動するということへの勘みたいなものが身についていた、というようなところがある。100キロとか300キロとか500キロの距離がどのくらいなものか、トラックの運転手並みに(といったらにそんな甘いものじゃないと怒られるかもしれないけど)感覚的に理解できる。
■けれどもやはり宮古は遠い。そこにいる人いまどういう状況でいるのか、すぐに気にかけなくなるくらいには離れている。
■市街地というようなところは、たぶん浸水はしたのだろうけどいまではもう何ともないような感じもある。道路沿いの中学校では運動会の練習みたいなことをやっている。一歩踏み込んで沿岸の地域に行くと崩壊した区域がある。
町の方に戻る。体育館の向かいに船の形をしたコープがあった。あ、ここはどっちも覚えている。体育館は避難所になっている。
■ふいに会社から電話が来る。「何月何日に撮影に行ってほしい」「大丈夫か?」といったことを聞いてくる。大丈夫なのかどうかわからない。先のことは何もわからない。とりあえず「はい」とだけ答える。「じゃあ、頼むね」。先行きが見通せないまま、週末の欄だけ次々に塗りつぶしていく。
■宮古から北に行くと田老というところで、ここはものすごく高い防潮堤があるところだ。それをも上回る津波に町は押し流された。
宮古から南に行くと山田町に至る。宮古から山田へと同じくらいの距離を山田からもっと南に行くと大槌がある。大槌の下は釜石になる。
その日は曇った薄暗い日で、夜には雨も降っていた。そのせいもあって大槌の災害の跡はまだ湿っぽく、生々しい。じっさい、片付けが進んでいないのかもしれない。聞くところではこの日AKBが来ていたとかいう話だった。
■浄土が浜を観に行った。駐車場から遊歩道の方へ歩いて行くと、管理人(なのかどうか知らないけど)が外で将棋をやっていて、「災害につきこの先通れません」というような看板が出ていたので、「行っちゃだめなんですか?」と聞いたら、盤面から目を離さず「いいよ」と言った。
散乱した瓦礫はきれいに片付けられていたけど、なぎ倒された柵や、めくれ上がったアスファルトはそのままだった。海の色はグリーンで、淀んでいるといったふうでもなかったけれど、本当はもっと澄んでいるのものなのかもしれない。島の白い岩肌に傾きかけた日の光が照射している。人はあまりいない。来るときに一人、帰り際に一人、すれ違った。ここは静かで、落ち着いている。
■毎日、銭湯に行った。昔からあるような銭湯で、シャンプーとかの備え付けはなくて、390円だった。
市内の車通りの多い一角に24時間営業のマックがあって。これは前にもあったっけか、覚えていないけどここにも毎日来た。持って来た本を読んでいた。ガルシア=マルケスの『誘拐』という本で、コロンビアで起きた麻薬犯罪組織による連続誘拐事件の顛末を書いたものだ。
マックから出る。この辺は暗くはない。都会的に明るくはないけど、まあ田舎の暗さというか。マックを出て橋を渡って市庁舎の方面に出ると、ふっと明かりがなくなる。別の世界に踏み入れるかのように急に暗くなる。夜の暗さよりもっと暗い。


仕事日和

さすがに関東の方はぽかぽかと、もう暑いと言ってもいいくらいの陽気で、これが夏になればもっと暑くなるのだと思うと今からげんなりする。
仕事をする。仕事が終わって、別のところで仕事をしていた会社の人に車で拾ってもらう。神奈川のどっかから東名にのって首都高を通過して東北道へ抜け出る。休日の夕方、行楽帰りで混み合う時間帯、ここで渋滞にはまるかどうかが、帰宅時間を大きく左右する。
今回はどうだったのか、実は知らない。車に乗り込んだら早々に眠り込んでしまったのだ。前だったらあまりグウグウ寝るのも悪い気がしたが、いやバイトだからって気兼ねしないというわけでもないが、今は多少は勘弁してもらいたい。起きたらもう東北道だった。福島の国見サービスエリアでカツカレー。家に着いたのは10時半くらい。11時近くだったか。


神奈川県平塚市

バイトの仕事で、会社の人たちと神奈川へ。
山形だろうと神奈川だろうとバイトの報酬はまったく同じなので、できれば神奈川なんかにまで行きたくないというのが本当のところで、とにかく移動にかかる時間つまり拘束時間もぐんと長くなる。この日の撮影が神奈川と知っていたら断っておきたかった…なんて、いやいやそんなことを言ってはいけない。仕事をもらえるだけありがたいと思わなくっちゃ。
お昼前に出発だったので、おにぎりを作って行った。パーキングエリアで軽くかけそばか何かと食べようと思っていたら、吾妻だったか止まったところはそういう軽食の店ではなくて普通のラーメン屋みたいなのがあるところで、食べるかどうか迷ったけどラーメンを頼んで持参したおにぎり2個も食べたら、お腹がいっぱいになった。それで夜までずっと胃がおかしくなっていた。車ではほとんど座っているだけなので、さっぱりお腹も減らない。それに三半規管もおかしくなるし、百害あって一利なし、とまでは言わないけど何かと害は多い任務ですよね。
今回は震災後に初めて東北道を通った。けっこう段差ができていた。とくにこの会社の標準走行速度で駆け抜けると、路面が波打っているのがよくわかる。
泊まったのは平塚の駅前から数百メートルくらいに立地しているホテルで、入り口の看板には1泊3900円という値段が出ていて、ずいぶん安いんだなと思っていたのだが、清算するときに1泊3500円だか3300円だかになった。わりかしきれいなところだった。
この仕事では神奈川には年に2回くらい来ることになっていたけど、平塚に来たのは初めてだったか。でも平塚というのはどこかで覚えがあるような気がする、と、記憶を遡っていくと、ずっと昔、浪人していたころ、たしか平塚市美術館にポール・ヴァンダーリッヒの版画展を観に来たことがあったと思う。そういえば。


世紀の発見

午前中、磯崎憲一郎『世紀の発見』を読んだ。昨日読んだ『終の住処』と合わせて、面白かった。
それから少し部屋の片付けをする。ファンヒーターとポリタンクに若干の灯油が残っている。これは使い切った方がいいのだろうか。来年の冬まで持ち越したら傷んでしまうのか。もはやそんなに寒くもない夜中に、それでも無理してつけてみたとして、そうするとこれを使い切るころにはよっぽど汗だくを覚悟しないといけないんじゃないのか。
所用でちょっと外に出る。
いやもうまったく麗らかな陽気で、ストーブをつけるとかおよそ見当違いの考えとしか思えない。さっさとストーブも片付けてしまおう。
夕方帰宅するとポストにAmazonからメール便が届いている。
早速その届いた本、中井久夫『復興の道なかばで』を読み始める。これは『災害がほんとうに襲った時』の続編というか、阪神淡路大震災から一年の記録となっている。この本も再編されてあらためて出版されたもの。
被災の状況は刻々と移り変わっていく。急激な打撃として襲いかかった震災は、時間の経過に伴って、これから緩やかに新たな局面に移行していくのだろう。その被災状況の進行がどのようなものなのか、たいした手助けはできなくてもそういう想像力を働かせることは、してみてもいいのではないかと思う。

世紀の発見
世紀の発見
posted with amazlet at 11.05.14
磯崎 憲一郎
河出書房新社
売り上げランキング: 381544
復興の道なかばで――阪神淡路大震災一年の記録
中井 久夫
みすず書房
売り上げランキング: 4331

終の住処

タルトの半分を朝食の代わりに食べた。
小説を読んだりしていた。磯﨑憲一郎『終の住処』を読んだ。
図書館で本を借りてきて家で読んでいるとお金がかからなくていいのだが、お金を稼ぐことも考えないといけないかと思う。
ふきを酒としょうゆと砂糖で煮た。けっこうしょっぱく煮付けてしまったのだけど、おいしくてぱくぱく食べてしまう。もっと作りおきしておけるように、いっぱいの束を買ってきて煮ておけばよかった。
ふきの佃煮、豚肉とたまねぎの炒め物、レタス

終の住処
終の住処
posted with amazlet at 11.05.12
磯崎 憲一郎
新潮社
売り上げランキング: 107046