走ることについて

自転車に乗ろうと思って、すぐさぼってしまう。今月は毎朝走ろう! と決意しても、きまって三日坊主に終わる。そんなことが続く。どれだけ意志薄弱なことか。
なんとなく思ったのだが、毎日毎日お菓子を作り続けている人や、毎日毎日本を読んでいるような人など、そういう人たちが書く本当に面白いなあと思って読んでいるブログはいくつかあるのだけど、でも考えてみると毎日毎日自転車に乗っている人のブログは一つも読んでいない。日常的に自転車に乗りつつ、「これは」と近いものを感じさせるブログを知らない。自転車に乗っている人もブログを書いている人も腐るほどいるはずだから、たんに巡り合わせの問題なのかもしれない。
僕は人がやっていることに影響されるたちだから、もしかすると自転車に乗るのをすぐさぼるのには、自転車について書かれてあるものを読んでいないからかなあと思った。しかし、それはあまりに他力本願というやつなのだが。
村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』という本を読んだ。これはもちろん走ることについて書いた本で、自転車に乗ることについて書いた本ではない。だけど、けっこう面白く読めた。この本を読んだのは二回目だと思うけど、今回の方がずっとよく理解できたと思う。
自転車のことがさっぱり書いていないわけではない。著者はトライアスロン・レースもやっているから自転車にも乗る。けれども自転車は苦手としているらしい。下を向いて走っていたら何かに激突したとか、拷問だとかもっとも不快なスポーツだとか、そんなことを書いている。少しも楽しく書かれていない…。
まあそれはどうでもよくて、この本を読んで、著者が走るという行為に込めた思いがすんなりと腑に落ちるような気がしたのだ。とはいえ本物のランナーである著者の言葉を、さぼってばかりいる僕が「腑に落ちる」というのもずいぶんおこがましいのかもしれない。ただ、自転車に乗ることと走ることは、いろいろと違いはあるにせよ、孤独に走り続けることの楽しみや苦しみというのは結局のところ共通すると思う。
今度はもうちょっと走ろうと思う。具体的な数字を決めよう。
一週間に100km走ろう。これは一日20km走っていれば5日続ければいいだけの距離だ。ただ雨の日も、バイトで出張に行く日もあるから週に5日乗れるかはわからない。そのときは別の日に40kmくらい走ればいい。
100km? まじめに自転車に乗っている人には笑っちゃう距離かもしれない。まあ、それでも。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋
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バーベキューはじめました:清住しちりん会

2011-06-15
日も本当に長くなったこの時期の、夕日が落ちてから完全に暗くなるまでのぼんやりと薄明るい、何もかもが曖昧に薄らいでいくような、ほてった空気をすうっと冷ましていくような、この間延びした時間帯がいいなと思う。
せっかくのオープン・スペースのある家で、何ができるといって戸を全開にすればそこで炭火をおこしてバーベキューなんかもできるんじゃないか…などという考えは前々から持っていたのだけど、ここ最近ぼんやりと外を見ていたらもう絶対にそうしたほうがいいと促されるようで、さっそく七輪を買ってきた。
ぼうっとした光と空気の移ろいの中で、炭火でゆっくり肉でもあぶろうじゃないか。そのまま暗くなったら、今度は淡い月明かりのもとで自分の作った美しいケーキを眺めようじゃないか…!
DSC_1763
最初はまあ、バーベキューふうに雑多にいろんなものを焼いてみようというわけです。バーベキューとはいえ七輪の焼ける面積は狭いのであって、とてもつつましやかなもの。
土間といっても家の中だから、やりたいほうだい豪勢にやってモクモクと煙をあげてもらっても困るのだ。火災報知器がならない程度の、ささやかな焼き肉にせざるをえないというわけ。
調べたところ、質の良い備長炭を使うと煙も出ないし匂いもない、ということらしい。でもホームセンターではいかにも粗悪な安い炭しか売っていなかった。あちこち回って結局、スポーツ店のアウトドア用品で見つけたマングローブの備長炭というのがマシそうだったのでそれを入手。炭を売っているところってどこなんだろう。今度探してみよう。
正面のガラス戸を全開にして(と思ったら、たてつけが悪くて全開にはならないのだが)、七輪に炭火をおこす。
野菜から始めて、肉やエビやソーセージなどを焼きました。家の中でやろうといいつつ、そのうち結局、七輪ごと歩道にはみ出していましたが…。
2011-06-15
本日のメインは、ランプ肉のステーキ。
前に、肉はショッピングセンター吉田の肉がうまいという情報を得ていたので、こちらに行ってみました。たしかにここの肉屋はいいですね、安いような気もする。そんなに大きなスーパーでもないけど、野菜の品揃えもなかなかいい感じがする。
どうでもいいけど牛肉を食べたのは久しぶりだった。炭火で焼けばやっぱりおいしい。
2011-06-15
デザートは、下にあげたルバーブのジャムのタルト。まあ、月明かりでなんか暗くて見えませんでした。そういえば向かいの敷地も外灯を落としている。節電の夜。
そんなこんなで、第一回目の清住しちりん会はこのへんでさようなら。
2011-06-15


ルバーブのジャムのタルト

Rhubarb Tart
ルバーブのタルトをつくりました。
シュクレ生地にルバーブのジャムを敷いて、フランジパーヌというクリームを詰めて焼き上げる。フランジパーヌというのはアーモンドクリームとカスタードクリームを足したものらしいです。
ルバーブのジャムはつくってからしばらく置いて、なんだか味がこなれてきたというか、そんな気がする。そうはいってもそこまで鮮明な味の形をしてるわけでもないので、やっぱりタルトにしてもボケた感じですね。
今度は生のルバーブから焼いてみようっと。


山形の天気

あまり遠くに行かせないでほしいというお願いがきいたわけじゃないだろうけど先週末は県内で撮影だったので、たいへん助かった。今度はこんなに楽をしちゃっていいんですか? と聞きたいほどだ、もちろん聞かないけど。いや、仕事自体を楽してるとかじゃなくって、移動がたいしてなくてよかったということだ。
今朝は久しぶりに自転車に乗った。ここのところ自転車に乗るのをさぼってた。なんか朝は体が重い。たかだか20kmくらいの距離をえっちらおっちら走った。いまの時節は暑くもなく寒くもなく自転車に乗るにはなかなかいい。でも最近は雨が降ったりやんだりもしているようだし、そろそろ梅雨なのか。
梅雨もいやだけど真夏の盛りというのもいやだ。いまはまだいいけれど夏になると僕の家はすごく暑くて、というか、正面のガラス戸から日がもろに射し込んでくる。それがけっこうきついので、その対策として去年考えていたのは、家の前に朝顔かゴーヤを植えていわゆる緑のカーテンというやつをやってみようか、ということで、しかしながらいまの気分としてはプランターや土を用意するのが億劫で、だからそれはやっぱりやらないかもしれない。
最近はそうめんが異様においしく感じられる。そうめんを茹でて、炒り卵と小ネギやミョウガやすりおろしたショウガなんかの薬味をばらばらっとかけて、薄めのつゆをざっとかけ回して食べると、言いようのない柔らかい甘みを感じる。なにか上品なお菓子でも食べているかのような気さえしてくる。
最近読んだ

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ルバーブ収穫、ジャムをつくる!

2011-06-07
ルバーブを収穫しました。
今年は種をまいてから3年目で、収穫するのは2年目。今年の出来はどうかな! 
3株植えているうちの1株は、茎もいっぱい生えているし色も赤く色づいていてけっこういい感じに育っているのだけど、他の2つは茎も思ったほど生えてなくて、なんだかずんぐりむっくりに育っている感じ。
まあ、それぞれの株からちょっとずつ、試しにジャムにするくらいをとってみます。このくらいで、葉っぱを切り取って量ってみると、だいたい500gくらいありました。
2011-06-07
早速、ジャムを作ってみます。砂糖はだいたいルバーブの5割くらいにしよう、と思ったけど、もっと入れようかと思って、あとからもう少し加えました。ぜんぶで6割くらい。それにレモンを1個の半分を絞って入れる。
ルバーブは熱を加えるとトロトロに溶けるので、簡単にジャムっぽくなるんですよね。あんまり長く煮詰めていないはずなのに、けっこうもったりしたジャムになってしまいました。
去年はなんだか、ルバーブ特有のきつい酸味があまりなくて残念に思ったのでした。今年はどうだろう? ーーと思って食べてみると、うん、やっぱり酸味がない気がします…! なんだかちょっと、えぐみも感じるなあ。
たしかルバーブって、本当はかなり酸っぱいものなんですよね? まあでも、いいよね、これはこれで。僕はこのルバーブを楽しみたいと思います。
今年も収穫できてよかった!
2011-06-07


仕事日記/長野県松本市など

いつもの「どこ行った日記」に戻ります。2日の木曜日に新潟の上越へ。
上越で、なんとかというとんかつ屋でとんかつ定食の並を食べた。
3日の金曜日は上越から下越に戻って新発田へ。
新発田駅前の、以前よく会社で利用していたなんとかという古くてぼろいホテルがあって、僕はあまり来た覚えはないのだけど、そこはとにかく会社基準でも最低ランクに入ろうかというホテルらしいのだが、ちょうどその前を通ったら「あれっ、ない!」と同行した社員が声をあげた。ホテルのあった場所はもう空き地になっていた。泊まるのは嫌だけれども、そういう個の際立った安宿がなくなってしまうのは一抹の寂しさを感じる、ということもなく、今回泊まった駅前のもう一つのホテルは、そのぼろいホテルに泊まっていたころにはすごくいいホテルに思えたのだけど、実際泊まってみたらそんなにいいというわけでもなかった、というのがその安宿評論家の意見だった。なんとかという定食屋で、もつ煮定食を食べた。
4日の土曜日は新発田から長野の松本へ。
どこかのパーキングエリアにとまったときインド人っぽい人から道を訊かれた。豊科まで行きたいのだが、どこで高速を降りればいいのかわからないとのこと。流暢に日本語を話していたけれども、読むのがだめで、日本語の地図を見てもわからないようだった。ここからどのくらいかかるのか? と言うから一時間くらいだと教えた。
松本は遠いけれども、駅前なんかはずいぶん見覚えがあって、やっぱり年に何回かは来ているのだなあと思う。松本の駅前にはいろいろ飲食店があるので、食べるところには困らないといった雰囲気ではあるのだけれど、まあ酒を飲まないとなると困らないということもない。なんとかというラーメン屋でラーメンと餃子を食べた。それから帰りに立ち寄ったコンビニでインド人っぽい人がいて、さっき道を教えた人がいたのかと思った。彼は無事に到着したかな。
今週は平日から撮影ということで、気がつけばこれからもっとも忙しいシーズンに入っていくのだなあ、と思う。おかげさまでというか僕のところにも依頼は来ているのだけど、せっかくやめたのにこんな忙しさに同調してしまっていいのだろうか。
新潟では金曜、土曜とどちらもこれからくる夏を思わせる暑さの感触があってうんざりだったのだけど、日曜日に長野に来てみるととても涼しかった。涼しい長野県といったらルバーブの日本での産地、と、ずいぶん大雑把にだけど覚えていて、いつかどこかでルバーブのジャムとかの製品を見かけたら一度買ってみようと思っている。でも今まで一度も見たことがない。ほんとに産地近くの特産品売り場みたいなところか、大きなデパートみたいなところでないと売っていないのかもしれない。
5日、日曜日の長野で一段落を終えて、あとはえんえんと帰り道をたどるだけ。神奈川や富山からの帰りと同じで、到着は遅くなるのを覚悟していたのだけど、向こうを発つ時間が早かったから山形には日が完全に沈むまえに着いた。空はまだ薄い明るさをとどめている。それだけでもよかった。それにしても日は長くなった。


福興会議/3.11 After Report

書いていたら長くなりましたが、ご案内をさせてください。

会社を辞めようと思ったのは、もちろん「ただ仕事が嫌だから」といった理由ではなく、もうちょっと前向きに、「独立してやっていけないだろうか」などというような方向性を模索していたからで、自分の家をスタジオにしたり名刺を作ったりサイトを作成したり、意気込んでというよりはのんきにではあったけれど準備をしたりしていたところで、そんな折、3月11日の地震を迎えました。
山形にいて、結局のところ直接的な被害があったわけでもなかった。けれども、自分のこれからの計画は一挙に崩れ去り、押し流されていったのを感じました。よく「3.11以後」というような言い方をするけれど、本当に実感としても「何か変わったな」という感じは確固としてあって、まあそもそもそんなに簡単に流されてしまう程度の計画だったのだ、と思ったりもする。
ともかくも、やろうと思っていたことがやれなくなって、この機会にしばらくはボランティアでもしようかなと思ったのでした。幸い(でもないけど)、4月からは自由に動くことができる。こんなときくらいは、ちょっとでも人助けになることをしたほうがいいんじゃないか。
ボランティアをやるにしても、どこにどういった受け入れ先があるのか。まず思い浮かんだのは「福興会議」でした。「福興会議」というのは僕の出身大学で始まった支援活動の名称で、思い浮かんだというより震災後の早くから活発な議論がなされていたのをツイッターで追っていたわけで、それで、とりあえず様子でも観に行くだけ行ってみるか、というように、何回目かの会議に足を運んでみたのでした。

福興会議とは
 東北芸術工科大学と山形大学の学生・教職員有志らによる東北復興支援チーム。東北芸術工科大学関係者のtwitterコミュニティー上で地震翌日の2011年3月12日に結成。14日に余震の続くなか、twitterでの呼びかけに応じて学生・卒業生80名が集結。以降、避難所でボランティア活動に従事しながら、「山形だから可能な/学生だから可能な」中長期的な復興デザインプランを協議している。5月のGWからアクションプランに基づく被災地での大規模行動および福興キャンペーンを開始した。

福興会議
http://www.tuad.ac.jp/fukukou/
その福興会議の活動の一つに、「311 After Report」という、被災者の証言を記録していく試みがあります。とくに若い人たち、学生の年代の人たちがあの震災をどのように受け、どんなことを考えているのか、といったことをインタビューしていくものです。
担当しているのは、芸工大の学生・院生の方と、僕です。
3.11 After Report
http://gs.tuad.ac.jp/fukukoufieldnote/

深い傷をおった被災者にたいして取材をおこなうということには、多かれ少なかれ微妙な問題が含まれるもので、正直にいえば、この取材をおこなうにあたって、個人的にいくつかの点で疑念や葛藤がなかったわけではありませんでした。第一、これは人助けでもなんでもないのではないか? 自分たちの都合でやっていることなんじゃないのか? 
「震災の記憶を風化させないために」、というのはこういった取材の常套句で、それはやっぱりその通りで正しいのだろうとは理解するのだけれど、それで葛藤が解消されたかといえばそうはならず、完全には気持ちの定まらないまま、何人かの取材を始めることになった、というのが本当のところです。
けれどもお話をうかがって記事にまとめているうちに、僕の中での疑念や葛藤なんかは実はどうでもいいことで、たいしたことじゃないんじゃないかと思えてきました。というのも、僕自身の迷いとはまったく別の次元で、取材した人たちの話には圧倒的に力と重みがあって、考えなくてはならないのは、それをそのまま、取りこぼさずに形にすることなのではないか。そんなふうに思いました。
そうはいってもやはり、これは大変な仕事なのだと思い知らされます。
宮古市で、一人の学生に取材をお願いしました。目の前で家を流された経験をした方でした。一度は「避難所に戻らなくてはならないから」と断られたのですが、僕がしばらくその場に留まっていると、その人は引き返してきました。やはりインタビューに応じても良い、と。
自分の家を流してしまった津波のことを思い出したいわけでもないし、積極的に話したいはずもない。それでも、その人は戻ってきた。なにか伝えなくてはいけないという思いがあったのだろうと思います。その取材を終えてからずっと、考えてしまいます。
結局のところ、その人が伝えなければいけないと感じた何かを、僕は聞くことができたのだろうか? 
本当に正直にいってしまえば、それはわからない、というしかありません。それでも、自分が聞ける範囲で話を真摯に受け止め、そのまま書くことしかできないのだろうと思います。ただ、何かを伝えなくてはならないと感じる人がいるということ。その「何か」を書き留めようと試みる契機が生じるのであれば、それでも僕がその場にいる意味はあるのかもしれません。
多くの人が、話していただいた方々の話に耳を傾け、この震災がどのようなものであるのかあらためて考えるきっかけになれば、いくらかの責務は果たせることになるのではないかと考えています。
よろしくお願いします。
萩原